大判例

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東京高等裁判所 昭和23年(行ナ)9号 判決

原告

照井滕利

石見豊松

被告

東京海難審判庁

主文

原告等の請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用は原告等の負担とする。

事実

(当事者双方の申立)

原告照井、同石見の各訴訟代理人は、いずれも原裁決中各原告に関する部分を取消す、訴訟費用は被告の負担とすとの判決を求め、被告代表者は各原告の請求を棄却するとの判決を求めた。

(当事者双方の陳述)

(甲)  原告照井、訴訟代理人の主張要旨

第一、本件衝突の経過は次の通りである。

(一) 石狩丸側についていうと、

原告照井は甲種船長の海技免状を受有し、東京都に船籍港を定める運輸省所属汽船総噸数三千百四十六噸(船の長さ百十三米、幅十六米)の靑函連絡船石狩丸に船長として乘組執務中、昭和二十一年十一月三日午後六時三十分靑森を発し、函館に向け航行の途中、同十時十七分葛登支岬灯台を北七十七度西(以下方位の表示はすべて磁針方位である)距離二・四五海里に並航し、一時間約十四海里半の全速力で進航し、同十時三十分頃函館港防波堤灯台を北七十七度東距離約〇・九海里に見る地点で、防波堤入口に向くよう針路を北七十二度東に向けた時、右舷船首約二点距離約一・二六海里の地点に大德丸の紅灯を認め、それが小型の発動機船で、出港して来るものであることは判つたが、函館港では成規の白灯を掲げないで機走する小型船があつて、その多くは烏賊釣船であるところから、これを烏賊釣船であると思つたが、両船の方位の替り具合、距離等からして両船は防波堤入口で出会する処はなく、防波堤の外大体二百米位のところで出会するであろうと推測した。果せるかな、同時三十三分半頃には防波堤灯台の北方距離約百二十米のところで、船首を西微北位に向け防波堤入口の一線を航過しつつある大德丸の紅灯及び船影を自船のほぼ船首距離約四百米の前方に認める関係になつた。従つてこのままの関係で暫らく推移すれば、やがて両船は防波堤入口の外百五十米ばかりのところで、左舷対左舷を以て無事に替り合つて行く情勢であつたから、普通入港針路の灯台寄りに向うため、少しく右舷(イージー・スターボート)を令したところ、八度ばかり回頭した時、大德丸の速度が急に落ちたように思われたので、舵中央(ヘルム・ミチツプ)を令じた。するとついで大德丸は急に綠灯を見せ、本船の針路を左舷から右舷え橫切るように進航して來るので、驚いて機関停止、激左舵(ハード・ボート)を令したが、遂に同時三十四分防波堤灯台から北六十度西距離百五十米ばかりの地点で、船首の右転が止まり、ほぼ北八十三度東に向いた時、石狩丸の船首が大德丸の右舷後部に、前方からほぼ四点(四十五度)の角度で衝突した。

(二) 大德丸側についていうと、

石見豊松は丙種航海士の海技免状を受有し、発動機附漁船総噸数二十四噸(船の長さ十八米幅三米)の大德丸に船長として乗組執務中、〓日午後十時十八分頃(時刻はすべて石狩丸の時刻に換算する、大德丸の時計は石狩丸の時計より二分進んでいた)函館港海岸町船入澗を発し惠山沖の漁場に向け航行の途中、同船のような小型漁船は一般には防波堤南端と弁天崎との間の入口を通つて出港するのであるが、このときは、この水路によらず同港第一航路を選び、操舵室後部に設置した木柱に両色灯を掲げただけで成規の檣灯(白灯)を掲げず、発航と同時に機関を一時間約五海里の微速力にかけ、水深五・三米の水路を辿り、同水路を出ると針路を北北西に転じ、同時二十六分半頃第六号灯浮標の南三十三度東距離五百七十米ばかりの地点で北西(詳しくは北四十四度西)に転針すると同時に機関を全速力にかけ、一時間九・二海里ばかりの速力で進航し、同時三十分頃にはその左舷船首三点四分の三、距離約一・三六海里に石狩丸の白、白、綠灯を見る関係にあつた。その後同船の灯火の方位はだんだん後方に替つて行つたが、防波堤入口に近ずいて徐々に左転し、同時三十三分半防波堤灯台から北二分の一東距離約百二十米の地点で防波堤入口の一線を航過するときの船首は西微北を向いており、この時左舷船首約二点半(二十七度)距離約四百米(この距離は大德丸の操舵室から石狩丸の船首部まで)に石狩丸の白、白、紅、綠灯及び船影を認めた。この関係では、そのまま暫らく進航すれば、防波堤入口を通過して、百五十米も進出したところで、石狩丸と左舷対左舷を以て無事に替つて行く情勢であつたが、石見は他船との関係に深く注意を払わず、ただ自船の便宜だけを考え、近廻りしようとして左転したので、石狩丸の前面を橫切るような態勢となり、約五点半(六十二度)左に回頭し、船首が南西二分の一南(南三十九度西)に向いたとき前記のように衝突した。

第二、本件衝突の原因は、

大德丸が開港々則施行規則第十四条の雑種船であつて、石狩丸の進路を避けなければならないに拘らず、これを避けなかつたこと、及び午後十時三十三分半同船が防波堤入口の一線を航過するときは、石狩丸は四百米もの前方におり、そのまま暫らく進航すれば、防波堤外百五十米ばかりも進出したところで石狩丸と無事に替つて行く状態であつたに拘らず、石見が他船との関係に留意しないで、急左転する極めて不当な運航をしたことにある。

第三、被告の裁決の失当な点。

然るに被告は本件衝突の経過につき裁決書(甲第一号証)記載の通りの叙上と異る事実関係を判定した上、原告照井は大德丸の紅灯を認めその速力によつて発動機船であることが判明しているに拘らず、函館港においては小型船で成規の白灯を掲げない悪習慣があつて、その多くは雑種船と看做される烏賊釣船であるところから、慢然同船も亦この烏賊釣船であろうと思い誤まり、やがてほぼ防波堤入口において出会することを知りながら、開港々則施行規則第十条の規定を遵守して防波堤外においてその進路を避けなければならないのに、機関用意さえこれを令せず、全速力のまま進航したために本件衝突を惹起するに至つたとし、海員懲戒法第一条第二号及び第三号に該当するものとして、同原告に対し、その受有する甲種船長免状の行使を一旦停止する旨の裁決をした。よつて左に順を追うて被告の裁決の失当な点を述べる。

(一) 被告は大德丸は午後十時二十八分頃函館港第六号灯浮標を右舷約二十米に通過すると同時に一時間九・二海里ばかりの全速力とし、函館港防波堤灯台を船首少しく左舷に見る北西二分の一西に転針したと判定したが、該判定は次の(イ)乃至(ハ)の理由により失当である。

(イ) 被告は大德丸が全速力にし且つ防波堤入口に向け転針した事実について、その審判廷における大德丸船長石見の左の供述を証拠としてこれを判定している。即ち

「問、六番は(第六号灯浮標の意)、答、右に見ました、問、これから全速力にしたのか、答、そうです(中略)問、六番浮標の何処から北西にしたか、答、距離は六番へ船丈位です、十八米位、問、六番近くから何処へ向けたか、答、灯台から一寸北です、」(丙第十二号証)。

然しながら、石見は地方海員審判所理事官に対し左の供述をしている。即ち

「問、船入澗ヲ出港シテカラ衝突迄ノ航跡ヲ示セ、答、被審人石見ノ陳述左ノ通り(防波堤灯台ヲAトス)一、出港後B点(A点ヨリ百三十度二キロ三三)ニテ北北西ニ転針ス、二、C点(A点ヨリ百二十五度一キロ九)ヨリ北西ニ転ズ」

「初メテ他船ヲ認メタトキ、大德丸ノ針路ハ北西デアリ、コノ針路ヲ定メタノハ防波堤灯台カラ南東(磁針方位)一キロ九四ノ地点デアル、」(丙第二号証)

又同人は地方海員審判所の審判廷で左の供述をしている。即ち

「北北西ノ針路デ六番浮標ノ南南東ノ地点マデ来テ其所デ北西ニ転針スルト共ニ全速力トシマシタ」(丙第十一号証)

而して右のC点即ち防波堤灯台から眞方位百二十五度距離一キロ九の地点は第六号灯浮標の南三十三度東五百七十米ばかりの地点であることは海図上明らかであるから、同人の右両供述によると、

(1) 大德丸が防波堤入口に向け針路を北西に転じた場所は第六号灯浮標の南南東の地点即ち右C点であり、

(2) 同船が全速力にしたのもこのC点からであることは、同人の初めからの一貫した供述で全く疑を存しない所なのである。それ故に、若し同人が被告の審判廷において卒然として右に反する供述をするようなことがあればその供述は相当怪しむべきもので、これに充分の吟味を加えるのが至当である。従つて、被告として、大德丸が防波堤入口に向け転針した場所及び全速力にした場所に関する従前の供述に疑を抱いたのであれば、「防波堤の入口に向けたのは何処か、又全速力にしたのは何処か」と質し、石見の供述を待つて、これを従前の供述との喰違いについて充分問質した上、心証を形成すべきである。然るに被告は石見に対し大德丸が第六号灯浮標に並航した旨の供述を得るや、これに接着して「これから全速力にしたのか」と従前の供述に反して積極的誘導に質問し、同人は「そうです」と答え、被告は更にこれを吟味しようとはしなかつた。又防波堤入口に向け北西に転針した場所についても、被告は右見の従前の供述を一切無視し、恰も自ら六番浮標並航時であることを予定しているかの如く、「六番浮標の何処から北西にしたか」というような問を発し、これによつて得られた供述を証拠とし、この点に関する従前の石見の供述を排斥した。かくの如きは審判官の遵守しなければならない尋問の法則に違背して石見を尋問した違法があるものと謂わなければならない。

(ロ) 被告は、大德丸が北西に転針した時刻について、石見の地方海員審判所受命審判官に対する「北西ニ変針シタ時刻ハ時計ヲ見マシタガ丁度十時三十分デシタ」の供述(丙第十号証)を証拠とし、同船の時計が二分進んでいたので、十時二十八分と判定したと主張している。

然しながら、被告の援用する右の供述は、「C点ノ位置ニ逹シタ時ニ始メテ全速力ニシマシタ、ソウシテ時計ヲ見マシタノガ丁度十時三十分デシタ」の供述に続いたものであることは、丙第十号証の供述記載により明白であるから、右の十時三十分とは大德丸がC点に逹した時のことをいつているのであつて、第六号灯浮標に並航した時のことでないことは余りにも明白である。然るに、被告は、右の供述中前の部分はこれを無視し、後の部分だけを切離してこれを採用し、これと被告の審判廷における石見の供述とを結合して大德丸が北西に転針した時刻を十時二十八分と判定した。かくの如きは正に採証の法則に違反したものといわなければならない。

被告は大德丸が前記のB点からC点を通つたものとすれば、海図上航泊禁止区域を通つたことになり、あり得ないことであると主張するけれども、その区域は海図上点線を以て囲み航泊禁止と書かれているだけで海面にはこれを明示する何等の目印もないから、これを他の海面と区別することは困難である、殊にB点よりC点に至るには、その南西隅の一部を僅かに橫切るに過ぎないから、決してあり得ないことではなく、現に石見自身が其所を通つたと言明しているのであるから、理由がない。

而して前示石見の地方海員審判所理事官に対する供述並びに地方海員審判所の審判廷における供述によると、大德丸が全速力にしたのは前記の如く第六号灯浮標の南三十三度東五百七十米ばかりの地点即ちC点からであるが、この地点から北西の針路で行くと防波堤入口の一線に逹する迄の航程は約一・〇七海里であることは海図上明らかであるから、同船の全速力九・二海里では、その航走所要時間は七分である。従つて同船が防波堤入口の一線に逹した時刻が十時三十三分半であれば、北西に転針し機関を全速力にかけた時刻はその七分前即ち十時二十六分半頃と認定しなければならない。

(ハ) 仮に被告判定の如く大德丸が第六号灯浮標を十時二十八分に通過し防波堤入口の一線を同時三十三分に通過したとすれば、この間五分間に〇・七三五海里を航走したものであるから、同船の速力は一時間八・八二海里であること計算上疑なく、従つて被告の判定した同船の全速力九・二海里とは相当な喰違いを生ずることになる。

右の数字上の主張は細か過ぎて衝突の原因を判断する大局には影響がないというような非難があるかも知れないが決してそうではない。本件の衝突は広い洋上の衝突とは異り、狭い港内での出来事であつて、三十秒の時間、五十米の距離の相違も衝突に重要な関係を持つて来るのであつて、両船の関係を正確且つ詳細に確定しないでは衝突原因を正しく突き止め得ない。それであればこそ被告も大德丸が防波堤の入口の一線を航過するときの時刻につき十時三十三分半というような微細な数字を明示しているのである。

(二)(イ)十時三十三分半における大德丸と石狩丸との位置、針路及び見合の関係は次のように認めるのが至当である。即ち「大德丸は防波堤灯台から北二分の一東距離百二十米ばかりの地点で西微北を向いており、同船からは左舷船首約二点半距離約四百米の個所に石狩丸の白、白、紅、綠灯及び船影を認め、又この時北七十二度東の針路で進航していた石狩丸は、ほぼその船首距離約四百米ばかりの個所に、大德丸の紅灯及び船影を認めた。」

右のように考えなければならない根拠は次の通りである。

(1) 大德丸は第六号灯浮標の南三十三度東五百七十米ばかりの地点で北西に転針して防波堤入口に向け進んだこと。(このことは石見の地方海員審判所理事官に対する供述及び同人の地方海員審判所の審判廷における供述に、その通りの記載があり、地方海員審判所の裁決もその通りの事実を判定している。)

(2) 右の針路(詳しくは北四十四度西)で行けば、同船が防波堤灯台から北二分の一東の線(即ち防波堤入口の一線)に逹する地点は同灯台から約百五十米であること。並びに石見はその海難屆(甲第二号証)に「同灯台ヲ約百五十米ノ距離ニテ通過セリ」と自ら書いていること。

(3) 防波堤入口の一線で西微北に向いていた大德丸が徐々に左転し、次で左舵一杯とし、結局約五点半も左に回頭して衝突地点に逹した事実である以上、入口の一線における灯台との距離は六十五米と見るよりは百二十米と見る方が技術上遙かに適当であること。

(4) この時の石狩丸の針路が北七十二度東であること、この時から衝突時までに同船は、僅かに一点(十二度)ばかり右に回頭したに過ぎないこと。石狩丸程度の大型船が転舵により一点ばかり右に回頭したときの状態は、船尾だけが元の針路線より左に振れるもので、その船首部は大体元の針路線上にあるものであることが、一般に技術上肯認できること。(甲第三号証)並びに衝突地点を通ずる北七十二度東の線(即ち石狩丸の針路線)と灯台から北二分の一東に引いた線(即ち防波堤入口の一線)とが交る地点が灯台から約百二十米であること。

(5) この時石狩丸からはその船首にあたつて大德丸の紅灯を認めたと原告照井が初めから供述していること。

(6) 石見は地方海員審判所の審判廷において、大德丸が防波堤入口の一線を通過し左転したときの相手船の灯火を見た関係について、図示しながら「左舷船首二乃至三点位距離四、五百米位ニ相手船ノ白、白、紅、綠灯ヲ見タ」旨(甲第十一号証)説明しているばかりでなく、被告の審判廷において「防波堤入口の一線を航過するときの大德丸の船首方向は西微北に向いており、そのときに石狩丸の船影を距離四、五百米に認めた」旨(甲第十二号証)供述していること。

(7) この時の大德丸の位置から衝突地点迄の直線距離は約百五十米であるが、同船はこの間を転舵しつつ曲線に進航したのであるから、その実航距離は直線距離の約一割増と見て百六十五米となる。従つて時速九・二海里の同船が十時三十三分半から衝突迄百六十米航走する間に、時速十四海里半の石狩丸は二百六十米航走したこととなるから、同時刻における両船の距離は衝突地点をさしはさんで約四百米あつたものと考えられること。

(ロ) 被告は、大德丸が防波堤入口の一線を航過する時の船首方向について、石見の地方海員審判所受命審判官に対する、左転しはじめた時刻及び船位並びにその時の見合関係に関する図示による供述(丙第十号証)を援用して、防波堤入口の一線を通過するときの大德丸の船首方向は西微北ではなく原針路のままであると主張している。

然しながら、右供述によつても同船のその時の船首方向が西微北であることを明瞭に否定することはできないのみならず、これを被告の審判廷における石見の供述と比較するときは益々その感が深い。即ち、石見は、被告の審判廷で、

(1) 「問、本船は五十米位に向け、灯台に並んでから左転したというが、その曲げ方は、答、西微北」(丙第十二号証)と供述している。これは灯台を距離五十米位に離れるよう北西の針路で進航し灯台に並んだので西微北に転針したという意味である。

(2) ところが、同人に対する高木補佐人(石見の補佐人)の補充尋問では、「問、灯台に並び、そのまま走つて灯台と右の浮標とを結ぶ線上で曲げたとのことであるが、答、西微北に向け、そして五十米のときに曲げました、審判長への答は間違いです、結んだ線上で曲げました」(同号証)と供述している。この供述を前の供述と対照すると誠に奇異の感がする。前の供述が誤りであるならば、これを訂正することは素より差支えはないが、その訂正された供述が又判然しない。「西微北に向けそして五十米のときに曲げた」というのは、石狩丸を避けるため大きく左転したのは灯台と浮標を結んだ入口の一線で灯台から距離五十米位の所であるが、入口の一線に逹したときの船首方向は西微北であるとも解される。

(3) そこでこの点を明確にして置く必要があるので、橋本補佐人は石見から左の問答を得た。即ち「問、灯台と浮標との一線で西微北に向いており、その時に船影が見え、距離が四、五百米あつたとのことであるが、正確ですか、答、そうです、」(同号証)。元来被審人は自分の補佐人の補充尋問に対しては打てば響くよう適当に答え、相手方の補佐人に対してはなかなか不利益の答をしないのが一般である。従つて石見が反対側の補佐人橋本に対し答えたところは、不利益を自認するものとして、高木補佐人に対する答よりは信憑力があるものと考えなければならない。そこで審判長は石見に対し更に訂正の機会を与えたが、その問答は左の通りである。「問、君の答は、はつきりしないのであるが、今、高木補佐人には北西で眞橫のとき左に曲げたといい、橋本補佐人には五十米のとき北西に並んで曲げたと答えたが、答、なし。」然らば大德丸が防波堤入口の一線を通過するときの船首方向は、被告の援用する石見の地方海員審判所受命審判官に対する前示供述のみによることなく、被告の審判廷における石見の前記供述特に橋本補佐人の補充尋問に対する石見の答を充分考慮に入れてこれを認定するのが至当である。

被告は原告照井の主張するが如く大德丸が防波堤入口の一線を通過するときの灯台との距離を百二十米とすれば、この時西微北に向いていたことにしないと、同船は衝突地点に行かないから、殊更に橋本補佐人は前示(3)中の問答を得たと解すると主張しているが、補佐人が相手方の被審人にその記憶、意思に反した不利益なことを言わさせ得るものでないことは多言を要しない。

(ハ) 衝突直前における両船の見合関係に関する被告の事実判定は実検法則に反する。

被告は石狩丸の行動について、「石狩丸の船首が八度右転した際、紅灯は正船首の方においてその方位の変転が鈍くなつたので、中略、ヘルム・ミチツプを命じて汽笛短声一発を吹鳴したところ、同船の紅灯は左舷船首約二分の一点距離約七十米のところにおいて綠灯に変じ」と判定したが、被告提出の運航模樣図(別紙図面参照)によつても明瞭な如く、石狩丸の船首が八度右転したときは、大德丸も亦B点とC点との中間位にあるのであつて、石狩丸の幅十六米の延長線上よりももつと左舷側に進出しているから、大德丸の紅灯を正船首に見る筈はないのである。又被告は、大德丸の行動について「同時三十三分半頃同灯台の北二分の一東六十五米ばかりの地点に逹したとき、同船(石狩丸)の灯火は漸次左に替つたが、中略、西微北に転針し、石狩丸の白、白、綠灯を左舷船首約二点半三百六十米ばかりの近距離に認め、徐々に左舵をとつたが、続いて同船の汽笛短声一発を聞き同時に白、白、綠、紅灯を認めた」と判定した、即ち「大德丸から石狩丸の紅、綠両舷灯を同時に認めたのは石狩丸の短声一発を聞いた時である」という判定である。

然しながら、被告提出の運航模樣図でも明らかなように、石狩丸が短声一発を吹いたのが船首が八度右転した直後であるとすると、その頃には大德丸に対しては最早綠灯を表示することはない。

被告は、舷灯は夫々竜骨線上を橫切り反対側よりも見ゆるものにしてその度合は計算上は約一度三十五分とされているが、両船の距離が近づくにつれ余光により漸次増大するものであるといつている。この点は原告照井も決して否定するものではない。従つて、左右両舷灯の間隔が約十六米である石狩丸においては、両舷灯の限界射光線は舷灯より船首方向約三百米の前方で交ることとなるが、そうとすれば大德丸は右図面のB点に来たときは石狩丸の両舷灯を見ているのであつて、被告の判定したように石狩丸が八度右転して短声一発したときその両舷灯を石見が見たというのは失当である。のみならず、石狩丸が八度右転したときは、大德丸を左舷五度位に見るような関係になつたことは、前示運航模樣図により明らかであるから、この時には石狩丸の綠灯は見えず紅灯を見たと認定するのが正当である。

(三) 被告が原告照井を開港々則施行規則第十条違反としたのは失当である。本条については、その立法趣旨に添うよう考えながら、(1)防波堤の入口とは何であるか、(2)出合の虞ありや否やは何時決するのであるか、(3)入港船が避けなければならない出港船の進路とはどんな進路をいうか等を理解した上でその適用ありや否やを決定しなければならない。

(イ) そこで本条の立法趣旨を案ずるに、防波堤の入口は一般に狭隘な場所であり、防波堤の存在は入口を通行する船舶の自由な運航を妨げることが多いから、この入口で出港船と入港船とが同時に航過し合うと、衝突事故を惹起し易いので、出入港船が出会する場合には、まず出港船を先に出してやり、出港船が入口を通過するまで、言い換えると、出港船が入口の地形的な障碍に牽制されないで自由に運航できるところえ進出するまで、入港船に防波堤の外で出港船の進路を避けさすことにして、衝突事故を防止するために、本条が設けられたのである。而して入口の地形的な障碍によつて出港船の自由な運航が妨げられる場所的範囲は各具体的の場合について、入口の幅員、其所の水路の形状、出港船の大きさ等を関係的に考慮して判断しなければならない。それ故に同じ幅員の入口でも、航路が防波堤の内外にこれと直角に形成されているものと航路が入口のところで相当な角度に折れているものとでは、出港船の自由に運航できる場所的範囲は同一ではない。又同一入口でも大型船と小型船とでは、自由運航の範囲が同樣でない場合が多い。又入口ではあつても、その幅員が大であつて、実際上出入港船が同時に航過し合うに少しの差支えもないような処では、本条の適用につき狭い入口のところとは同樣に考えるべきでない。故に出港船が入口を航過し、入口の地形的障碍に全く影響されないで自由に運航できる場所にまで進出した後、入港船と出会する場合には、最早本条を適用すべきではない。

(ロ) そこで、本件の具体的な事情について考えると、

(1) 防波堤入口の幅員は実に三百六十米という他に類例のない広さであつて、事実上は出入港船の同時航過に少しの危険もない

(2) これに反し出港船たる大德丸は、総噸数二十四噸長さ十八米幅三米という小さな船である。即ち、入口の幅員は出港船の幅の百二十倍もある。

(3) 航路は、防波堤入口の内外に防波堤とほぼ直角に近い角度で各五百米の延長を以て、第一航路を形成している。

(4) しかも入口附近においては他に大德丸の運航の自由を妨げるような特殊事情は何もない。

従つて本件の場所で大德丸のような小さな船が出港船であるとき、防波堤の入口を通過後百五十米ばかりも進出したところで、石狩丸と出合うことが相当明瞭に推測できる本件の事実関係の下では最早本条の適用はない。

(ハ) 次に防波堤の入口の観念であるが、本件において防波堤の入口というのは、防波堤の北端と、その北二分の一東距離三百六十米のところにある灯浮標との間をいうのである。但しこの入口の一線で出会する場合に限り本条の適用があるというのではない。この入口の一線で出会する虞があれば本条の適用がある。従つて入口の一線の近くで出会した場合に、本条を適用することは素より差支えない。「唯入口の一線の近く」というのは、どの範囲まで認めて差支えないかは、各具体的の場合についてこれを決定しなければならぬが、原告照井は、出港船が入口を通過し、入口に全く影響されないで、自由に運航できる場所まで進出して、入港船と出会する場合は入口において出会する虞はないものと主張する。然らば、本件では総噸数僅かに二十四噸長さ十八米の大德丸が、幅員三百六十米の入口を通過した後、百七十米ばかりも進出して衝突したのであるから、入口で出会する虞はなかつたのである。

(ニ) 「出会の虞」ということで、入口附近の範囲を拡げれば拡げるだけ、出港船には便宜であるが、反対に入港船には不便となる。そこでこの範囲は本条の立法趣旨、航行船の社会的要求等に考え妥当な程度に止るべきで、漠然と出港船に便宜なようにのみ拡げて解すべきではない。本条は出港船に特権を与えたものではないから、出港船に特に有利なように解してはならない。

被告は、本件の場合入口の一線から百五十米は入口附近と解しているけれども、被告の解するようにすると、入口の内外合計三百米の範囲内で出会するときは、本条の適用があることになり、大德丸のような小さな船が出て来るのを見ると、石狩丸としては自船が防波堤を通過して百五十米も内側に入つたところで、この小型船と行会うと考えられる場合でも入港して行くことはできなくなり、入港船にとつては甚しい不便である。本件のような入口の幅が甚しく広いところでは、出港船が相当大きな船ならば兎に角、大德丸のような小型船が出港して來る場合、入口の内外百五十米で替り会う場合でも、なお本条の適用があるとするのは実際上妥当でなく、かかる解釈こそ、却て港の交通を不当に窮屈にするものである。のみならず、本条は、「入口ニ於テ出会ノ虞アルトキ」云々と規定し、被告の解するが如く「入口附近」とは云つていない。港則法が本条の「入口」を改正して「入口又ハ入口附近」としたのは、入口と入口附近とが異ることを明らかにしたものである。

(ホ) 防波堤の入口で出会する虞があるか否かの判断ができない場合は兎も角、事前適当な距離において入口で出会する虞がないと判断できる場合には、本条の適用のないこと勿論である。

被告は、原告照井が両船は入口の外約二百米位のところで行合うものと判断したことを如何にも不確実な単なる想像であるとし信ずべきでないとするに反し、石見の地方海員審判所並びに被告の審判廷における「港の入口附近で出会うと思いました」旨の供述こそ信ずべきであるとしているが、これは事物の眞相を究めない皮相の見方である。成程、石見は、地方海員審判所の審判廷において「何処デ行会ウト思ツタカ」の問に対し「港ノ入口附近デ出会ウト思イマシタ」旨答えているが、この問答は、その前の「問、相手船ヲ初メテ見タノハ何時カ、答、六番ブイヲ替ワル時ニ相手船ノ白二個ト綠一個ヲ見付ケマシタ、問、ソノ時相手船エノ方向及距離ハ、答、左舷船首二点位デ距離ハ未ダ遠イト思イマシタ」に続いているものである。(丙第十一号証)この問答にあるように、石見が「入口附近で出会う」と思つたのは、六番灯浮標のところであり、他船との距離も未だ遠いというだけではつきりしない。従つてこの頃は、未だ「入口附近で出会う」かどうか判然しなかつたというのが眞相である。石狩丸にとつても同樣でこの時頃は、果して入口で出会するかどうか判らなかつたのであろう。その後大德丸がだんだん防波堤の入口に近くなるに従つて判るようになり、十時三十三分十六秒頃大德丸が防波堤入口の一線を通過する頃、両船の距離は四百六、七十米になり、互にその船影も見られ、且つ灯台との関係からして、石狩丸からは、大德丸が入口の一線を通過しつつあることが看取せられたので、原告照井は、この分では両船は入口で出会する虞はなく、入口の外二百米位のところで行会うと観測したのである。しかもこの観測は事実の結果からしても大体当つていたことが窺われる。右のような関係であれば、六番灯浮標の辺りで初めて他船を見、他船との距離及び両船の接近関係も明瞭に観測できないとき、「入口附近で出会うと思つた」という石見の供述よりも、原告照井の前示供述こそ信ずべきである。のみならず、石見は果して何時頃どの方向に石狩丸を認めたものであるかも甚だ怪しいのである。即ち、同人が事故直後最も記憶の明瞭なときに書いた筈の海難屆(甲第二号証)によると、「二十二時三十五分頃防波堤灯台ヲ約百五十米ノ距離ニテ通過セリ、其際鉄道連絡船ノ入港シ来ルヲ認メタ。」とあつて、初めて石狩丸に気付いたのは防波堤の入口を通過した時であるという。ところが、石見に対する地方海員審判所理事官の海難調書(丙第二号証)では「初メテ他船ヲ認メタ時刻ハ十時三十四分頃、コノ時ノ他船トノ距離ハ、相当遠シト思ツタ、他船ノ方位ハ、左舷船首一点位、」となつて初認の時刻は変つて了つた。然るに又、石見に対する地方海員審判所受命審判官の下調調書(丙第十号証)によると、「相手船ヲ初メテ見タ時ノ時刻ハ時計ヲ見マセンデシタガ三十二分過ギデハナイカト思イマス。」とあつて、時刻は少しく早くなり、場所は六番灯浮標を通過後少し行つたところであるとし、他船の方位は三点とし、距離を「一海里又は一海里半位」とするに至つた。然るに、地方海員審判所の審判廷では、石見は前示の如く「左舷船首二点位」(丙第十一号証)と供述するに至つた。こんな具合では、仮令同人が最初他船を見たとき防波堤入口附近で出会うと思つたと言つても、それこそ単なる想像で、これが原告照井の推測よりも確実に近いとは到底考えられない。以上説明の如く、本件の具体的事情の下においては、両船が防波堤入口で出会う虞があつたものと認定することば妥当でない。

(ヘ) 又出入港船が防波堤の入口で出会する虞のある場合でも、入港船が避けなければならぬ出港船の針路というのは、海員として一般に期待される正常の進路のことである。相接近する二船の内一船が他船の進路を避ける義務がある場合、その他船が勝手な行動をとつたのでは、避航方法に手違を生じ、却て衝突を惹起する危険がある。そこで海上衝突予防法第二十一条は「本法航方ニ依リ二船ノ内一船ヨリ他船ノ航路ヲ避クルトキ他船ニ於テ其ノ針路及速力ヲ保ツヘシ」と規定し、避讓される船の恣意な行動を禁じたのである。而して同条遵守の必要であることは、両船が港外にある場合と、港内にある場合とで異るものではない。開港港則施行規則第十六条は「本章ノ定ムルモノノ外船舶ノ航法ニ関シテハ海上衝突予防法ノ定ムル所ニ依ル」と規定しており、海上衝突予防法第二十一条が航法の規定であることは疑いないから、同条は右規則第十条の出港船にも適用あること勿論である。従つて、仮に石狩丸が大德丸の進路を避けなければならないものとしたら、大德丸も亦その針路を守らなければならないのである。大德丸が航路筋に沿うよう少しく左転することは、同条違反ではないが、この場合五、六点もの大角度に回頭することは、みだりに針路を変転する不法なものであつて、かかる場合入港船たる石狩丸は、この不法な進路までも避けなければならぬというものではない。

(ト) 本件において、(1)十時三十三分半頃までは両船の方位がずんずんかわつて行つたこと、即ち、そのまま行けば、衝突の虞はなく、(2)大德丸は入口を航過してから百五十米も進行してから出会したこと、従つて、そのまま推移すれば、石狩丸は大德丸が入口を航過して相当後に入口を通る関係にあつたこと、(3)大德丸が入口を出ると直ちに大角度に左転することは海員の常務に反すること、(海上衝突予防法第二十九条参照)従つて、原告照井としては、大德丸のこのような大角度の左転を予想せず、その予想しなかつたことはとがむべきでないこと、(4)この正常な予想に基いて、大德丸がやがて左に安全にかわつて行くものと考え、速力を減ずる必要を感じなかつたこと、(5)然るに大德丸がみだりに針路を変転して大角度に左転して来たために、遂に衝突するに至つたこと、の事実を肯定する以上、原告照井に対し、他の理由で非難するのは格別、開港港則施行規則第十条に違反したものとなすのは失当である。

(四)(イ) 大德丸は開港港則施行規則第十四条の雑種船であるから、同船こそ石狩丸の進路を避くべき義務がある。同規則第四十五条には「本令ニ於テ雑種船ト称スルハ、汽艇、艀船、端舟及櫓櫂ノミヲ以テ運転シ又ハ主トシテ櫓櫂ノミヲ以テ運転スル舟ヲ謂ウ。函館港ニアリテハ烏賊釣漁業ニ使用スル船舶ハ之ヲ雑種船ト看做ス。」と規定されている。

右第十四条の適用について、最も問題となり易いのは、汽艇とは何であるかの点であるが、本条が設けられた趣旨は、狭い港内では大型船の操縱は小型船の操縱に比較して困難であるので、操縱の容易な雑種船に避譲の義務を認め港内の安全を期するにある。従つてここに汽艇というのは結局機走する小型船と解するの外なく、その使用の目的、範囲等は汽艇なりや否やを決定する標準とはならない。又同規則第四十五条第二項の適用についても、「烏賊釣漁業ニ使用スル」という使用目的が雑種船の要件ではなく、結局「烏賊釣船乃至コレニ匹敵スル小型漁船」と解すべきである。かように解しないと、同樣な小型機走船でありながら、その使用目的の相異により、或時は汽船となり、或時は雑種船となる、又同一の小型漁船が烏賊釣を目的とするときは雑種船となり、鱈釣を目的とするときは雑種船でないことになり、避航義務関係は逆転し、却て衝突を惹起し易くなる、しかも出会つた一般の汽船からすると、これ等小型機走船、小型漁船が何の目的に使用されているのかは、一向に判らない。殊に夜間においてそうなのである。大德丸は総噸数二十四噸長さ十八米ばかりの小型機走船で、汽艇の部類であり、又烏賊釣船に匹敵する小型漁船であるから、開港港則施行規則第十四条の適用については雑種船と解すべきである。

(ロ) 被告は、大德丸は乙種船舶檢査証書謄本に示す如く、機船底曳網漁業に従事する機附帆船であつて雑種船ではないと主張するけれども、それは甚だ理由のないことである。即ち、

(1) 船舶検査証書の甲種、乙種の区別は、満載吃水線の標示を強制されるか否かによるもので、船舶安全法による船舶検査に関する問題であつて、その船が開港港則施行規則にいわゆる雑種船であるか否かについては全く無関係である。(船舶安全法施行規則第百十七条参照)

(2) 又被告のいわゆる機附帆船は帆船であつて汽艇ではないという意味であるかも知れないが、元来汽船と帆船との区別は、その法律の目的によつて違うものであつて、船舶法上は、その運航裝置によつてこれを区別し、その取扱を別異にしている。即ち、同法施行細則第一条によれば、構造上帆船の裝置にしてあると、実際はその補助機関だけで運航し、殆ど帆を用いない船でも、いわゆる機附帆船として帆船の部類に属せしめている。又艀船の多数は、形式上帆走裝置の構造になつているから、船舶検査証書面上は帆船になつている。然しながら、右は船舶法乃至船舶行政上の区別であつて如何なる場合でもこの区別に従うものであるとはいえない。ところが、衝突予防に関しては、右と異る区別をしている。即ち、海上衝突予防法総則第二、三項によれば、補助機関附帆船でも機関によつて運転している以上汽船である。従つて大德丸が船舶法上の帆船であるというだけでは、同船が汽艇にあらずという結論にはならない。

(ハ) 仮に大德丸が開港港則施行規則第十四条の雑種船でないとするも、函館港においては小型船成規の白灯を掲げない悪習慣があり、その多くは雑種船と看做される烏賊釣船である事情の下において、総噸数僅かに二十四噸の小型船である大德丸が白灯を掲げないで航行する以上、他船が同船を烏賊釣船と誤解するであろうことは当然予想さるるところであるから、同船船長としては雑種船として行動するのが至当である。従つて本件の場合大德丸こそ石狩丸の進路を避くべきである。

(五) 被告が原告照井は大德丸を漫然烏賊釣船であると誤解したものとして同原告の過失を判定したのは、その理由に矛盾がある。被告の裁決に明示されている通り、「函館港においては小型船で成規の白灯を揚げない悪習慣があり、その多くは雑種船と看做される烏賊釣船である。」それであればこそ、被告も大德丸船長石見が成規の白灯を掲げず他船にその判断を誤らせたのは衝突の原因であるとして同人を非難しているのである。さすれは、原告照井が大德丸を雑種船である烏賊釣船であると思つたのは誠に尤もな次第であつて、決して漫然と思い誤つたものではない。被告がこの点で石見の過失を判定しながら、この過失によつて誤解した原告照井をも亦漫然誤解したものとして非難するのは矛盾といわなければならない。

(六) 被告は、原告照井が本件の場所で一時間十四海里半の速力をもつて進航したことを、海員の常務に反するものであるとしているが、これは失当である。船は港内の防波堤内側においてさえも、場合によつては、全速力で進航しても差支えない。況んや本件の衝突地点及びその外方の地域を全速力で進航することは、特殊な場合以外に一向差支えない。開港港則施行規則第十一条には「汽船ニ港界内及港界附近ニ於テハ他船ハ危害ヲ及ボサザル程度ニ速力ヲ減ジテ航行スベシ」とあるが、この規定は、内海水道航行規則第八条第一項第六号に「下関高灯附近ト山底ノ鼻附近トノ間ニ於テハ航行ニ因リ生ズル波浪ノ為海難其ノ他ノ事故ヲ生セザル程度ノ速力ニテ航行スルコト」と規定するのと全く同一の趣旨で、港界内及び港界附近には、艀船、小舟艇、櫓櫂船等の居ることが多く、高速力で進航すると、それに因つて生ずる波浪のために、これ等の他船に危害を及ぼすことがあるので、そういう事故の起らないよう適当に減速することを命じた規定であつて、衝突事故を防止する趣旨の規定ではない。従つてこのような場合でないとき、港内で全速力をもつて進行することの許されているのは当然予想できることである。右とは別に、衝突の危険がある場合、その必要に応じて速力を減じなければならぬことは、当然に海員の常務と考えられる。然しながら、この常務は、港内であると外海であるとによつて区別あるものではない。換言すると、本件の場所で常にこの常務があるというものではない。又この常務は衝突の危険ある場合に存するもので、場合の如何を問わず存するものではない。さすれば、被告の主張するように、漠然と場合の如何を問わず、本件の場所で全速力を保つていたのは海員の常務に反することは、到底許されない。被告は防波堤入口に近く、石狩丸のような船が全速力では、万一舵に故障を生じたような場合、防波堤に突き当てないとは保証できないというが、かくの如き架空なことを前提として原告照井を責めるのは不当も甚しきものであつて、若し然りとすれば狭隘なる水路は勿論、広場においても、他船と行会う場合には屡々全速力では航海し得ないという不合理を生ずる。從つて同原告に対し、石狩丸が全速力を保持していたことを海員の常務に反するものとして懲戒を加えようとするならば、(1)同船が全速力を保持したのでは衝突は免れないこと、(2)右のことは船長として衝突前斯々の時期に予見し得たこと、(3)その時期において減速したなら衝突は避けられたこと、等の事実関係を確定した上でなければならない。

ところが本件では(1)大德丸が防波堤入口の一線を通過した後、そのままの針路で進航するか、仮令少しく左転しても航路筋に並行するよう進航すれば、両船は入口の外約百五十米のところで互に左舷対左舷で無事に替つて行く事情であり、(2)その後大德丸が石狩丸の前面で、大角度に左転するということは、海員の常務に反する不当な運航方法であり、原告照井がこの不当運航を予想しなかつたのは咎むべきでない程の事情であること(3)従つて、同原告が大德丸の左転に気付き得たのは、衝突直前であり、この時全速力後退を命じても、到底目的は逹し得られない実情であつた。のであるから、原告照井に対し、海員の常務に反したと非難することは失当である。

(乙)  原告石見訴訟代理人の主張要旨。

被告がその裁決において判定した、運航上の事実については争わないか、函館港においては小型船で成規の白灯を掲げない悪習慣があつたこと、石狩丸船長照井が大德丸を烏賊釣船と誤解したこと及び原告石見に過失ありとする左の事項並びに処分の量定についてはこれを争う。

(一)  大德丸は石狩丸の前面において濫りに左転したものではない。被告は濫りに左転したとは、大德丸が西微北に転針したことを指しているのではなく、他船の前面においてといつているように徐々に左転し、続いて取舵一杯として他船の前面を橫切るようにしたことを指しているものであることを明らかにした。よつて、被告が以て濫りに左転したとなす点を便宜上、(イ)徐々に左転したこと(ロ)取舵一杯にして他船の前面を橫切るようにしたことの二つに分け、当時の事情においては、かかる運航が決して濫りなものでないことを明らかにしたい。

(イ) 大德丸がその針路を一旦西微北に転針し、石狩丸の白、白、綠灯及び船影を左舷船首約二点半三百六十米ばかりの近距離に認めた(甲第一号証)際の両船の配置は、大德丸が石狩丸の右舷船首に方り最小限度約六度若しくはこれよりもつと大角度に右舷の方にあつたものと考えられるが、仮にこれを原告石見に最も不利益な六度の方位にあつたものとすると、石狩丸の紅灯(六十ワツト)は、三百六十米の近距離においては、船首尾線から約六度迄右舷側にある船から見えるものであるから、大德丸が石狩丸の白、白、綠灯を認めた方位即ち左舷船首約二点半は正確には二点八分の一となる。被告は、大德丸が、このような位置において左転したことを濫りに左転したと云つているが、もし左転せず、西微北の針路のままで進航したならば両船は僅かに十四米ばかりを隔てて航過することになり、石狩丸が原針路北七十一度東を航行せずに、被告の提出した運航模樣図にあるように、北七十四度東を向いていたものとすれば、両船の航過距離は十四米よりも小さくなり、危険は增大することになる。而して十時三十三分半における石狩丸の船首が、これより少しでも右え向けば向く程、益々航過距離は小さく危険の增大することが明らかになると思う。しかもこれは机上で作図した場合の話であつて、実際は両船とも広い海上にあり、且つ大德丸が西微北に転針した位置において徐々に左転を始めたときは、石狩丸は漸やく原針路から僅かに三度右転して北七十四度東になつたにすぎず、この程度の緩漫且つ微少の針路の変化は、当時の運航状況下の大德丸からは、これを認識することは経験則上不可能で、万一石狩丸がほんの少しでも左転しようものならば、大德丸は左舷側全幅を石狩丸の前面に暴露し運用術上最も忌むべき状態で衝突するであろうとおそれざるを得ない関係位置にあつたのである。僅か二十余噸の小型船に対し、暗夜十四海里半の高速力で来航する三千余噸の大型船の前面を極く間近かで橫切れと要求することは無謀である。従つてこの場合、大德丸が徐々に左転したことは当然の処置であり、決して濫りに左転したものでないというべきである。

(ロ) その後石狩丸が徐々に右転して大德丸に対し、白、白、綠灯の外紅灯をも示すようになつたときは(このとき大德丸は石狩丸のほぼ正船首に方ることになる)、大德丸は既に左転しつつあり、且つ両船の距離は更に接近していたので(時間にして衝突十五秒か二十秒位前)かく切迫した事情の下において、大德丸が取舵一杯(急左転)にしたのはまことに巳むを得ざるに出でたものといわねばならぬ。

(ハ) 次に被告の判定は開港港則施行規則第十条の解釈を誤つている。

本条は防波堤入口という狭い特殊の場所を、二隻の汽船が同時に出入することを、法律上特に危険と認めかかる場所で出会の虞の生ずるのを防止するために設けられた規定であつて、にの目的逹成のために、入港船を防波堤外で待たせ、出港船に優先通航権を与えたのである。従つて出港船に対しては、出港船としての通常の運航に必要と認めらるる入口附近の全水域が、その使用に供せらるべきで、入港船は防波堤外で右水域を避けた位置にあつて、出港船の出港し了るのを待合せることが期待されるのである。即ち、出港船は入口附近の全水域において、その目的逹成のため通常必要と認められる限り、自由な運航をなすことができ、その範囲においては針路や速力を保持する義務なく、出港の目的に応じて転針して差支えない。(この解釈は英国の判例でもポートランド港の港則第五条の解釈について認められているところである。)なお、本条はこれを出港船が出港し了る迄という、短距間の時間的制限のある、陸上のいわゆる一方交通路の規則と考えるならば、一層その適用が明瞭となると思う。即ち、一方交通の自動車道路の出口は、如何なる自動車も入つて来ることを禁ぜられているので、若し順走して出口を出る自動車と、逆走してその出口え入つて来る自動車とが出口附近で衝突したとすると、順走自動車が道路の左側、右側を問わず、又ハンドルを右にとろうが、左にとろうが、特殊の事情のない限り、常に逆走自動車の一方的過失と認められる。出港船が出港しつつある間は、入港船は入港して来てはならないというのが、本条の立法趣旨であるから、もし強いて入港して來て衝突を起した場合には、前記自動車の衝突の場合と同じく、出港船の過失を云々すべきでない。大德丸が転針したのは、午後十時三十三分半頃、函館港防波堤灯台の北二分の一東六十五米ばかりの地点であつて、この時、同船は石狩丸の右舷船首約一点に方つていて(甲第一号証)、石狩丸の針路の延長線から七十米余も離れており、しかも、その転針は、南方漁場に行くための転針であるから、濫りに転針したものと断じた被告の裁決は、本条の解釈を誤つた違法あるものといわなければならない。

(二)  大德丸が成規の白灯を掲げていなかつたことは本件衝突の原因ではない。

(1) 大德丸が成規の白灯を掲げなかつたことが、照井において、同船を烏賊釣船と誤認したことの基礎とならず、ひいて本位衝突との間に原因結果の関係のないことを、消極面から述べよう。

(イ) 被告は烏賊釣船程度の船は舷灯のみで、白灯を掲げない悪習慣のあることは、被告の見解と照井の供述はほぼ一致するものであると述べているが、照井の、被告の審判廷における供述の内容は、結局烏賊釣のうちに白灯をつけて居るものと、つけて居らぬものとがあることを述べているだけで(丙第十二号証)、これによつては、かかる悪習慣については勿論、これが被告のいわゆる一般常識即ち、立証を要しない公知の事実であるということを逹うに足らず、従つて、被告がその裁決において、かかる悪習慣のあること、及び照井もこれに基いて大德丸を烏賊釣船と判断したと判定したことは、全く誤れる独断によるものといわねばならない。

(ロ) 函館港の小型船(烏賊釣を含む)の多くは白灯を掲げているのであつて、このことは証人村岡正同高木敏の各証言によつて明らかである。従つて大德丸が白灯を掲げていなかつたことは、照井が同船を烏賊釣と誤認したことの根拠とはならない。

(ハ) 照井は、被告の審判廷において、これ迄の供述を変え「対手船も成規の白灯を掲げておらぬので左樣に(烏賊釣船と)判断しました」と述べている。その趣旨は、大德丸が白灯を掲げていなかつたことが、照井の誤認の根拠であるという意味である。ところが、照井は、地方海員審判所の審判廷で、「問、紅灯ヲ見テ如何ナル船ト判断セシヤ、答、替リ具合カラ見テ烏賊釣ニ出テ行ク船ト思イマシタ、」と述べ、更に高木補佐人の質問に対し、「当時ハ烏賊釣ガ盛デアツタノデ烏賊釣船以外ノ航行ハ想像サンテイナカツタ」と答えている。(丙第十一号証)

これによれば、照井が大德丸を烏賊釣船と判断したのは、同船の方位の替り具合と、当時烏賊釣が盛んで烏賊釣船以外の航行船があろうとは思わなかつたことによるもので、大德丸が両色灯のみを掲げ、白灯を掲げていなかつたからでないことは、極めて明瞭である。然るに、被告は、照井の右の従前の供述に細心の注意を払わず、前示被告の審判廷における同人の供述を恣意に採用した。これは被告のいうが如き悪習慣が、函館港にあるとの独断に端を発しているもので、自由心証の範囲を逸脱し、採証の法則を誤つたものというべきである。

(ニ) 以上述べたところは、烏賊釣船の出港時刻を考慮外においての所論であるが、本件衝突の原因を正しく判断するためには、どうしても右出港時刻を考慮に入れなければならない。函館港においては、一般に烏賊釣船は群をなして夕方四時か五時頃出港し、遅くも六時頃迄には全部出払うものであつて、夜の十時半頃出港する烏賊釣船の存在しないことは、地方海員審判所の審判廷における証人山田俊男の供述(丙第十一号証)、当裁判所における証人村岡正、同高木敏の各証言のいずれによつても、最早疑の余地なく、これこそ公知の事実というべきである。又烏賊釣船は殆ど皆弁天の切り通しを通り、通常は第一航路を通らない。(前記村岡正及び高木敏の各証言)。即ち、夜十時半頃函館港の第一航路を唯一隻で出港するような烏賊釣船は全く存在しないのであるから、この点のみから考えても、同時刻頃大德丸が両色灯のみを掲げ白灯を掲げずに出港したことは、照井が同船を烏賊釣船判断したことの基礎にはならない。

被告は、夜十時半という頃に出港する烏賊釣船は存在しないということは一般的にであつて絶対的のものでないと抗弁するが、然し、それは、不可能ではないと云い得るだけのことで、われわれの生活経験に照して極めて稀有例外の事実である。従つて靑函連絡線の船長として二十三年の経歴を有する照井が(丙第十二号証)右時刻に出港する大德丸を見て、これを烏賊釣船と判断することも、単に不可能でないと云い得るだけで、極めて稀有例外の事実であるといわなければならない。既に然る以上、照井が大德丸を成規の白灯を掲げておらぬので烏賊釣船と思つたと供述したとしても、該供述を証拠として採用するについては、十分の合理的根拠がなくてはならない。被告は照井が全く烏賊季節を外れた眞冬の一月下旬頃の夜半に成規の白灯を掲げないて出港して來る一漫の小型船を見て白灯を掲げぬので烏賊釣船と思つたと供述した場合でも、矢張り該供述を採用するであろうか。然るに、被告の裁決によつては照井が、大德丸を白灯を掲げなかつたが故に烏賊釣船と思つたという供述を、採用した合理的根拠を理解することができないから、結局被告の判定は証拠によらない違法があるか、でなければ理由不備の違法があるものといわなければならない。

(2) 次に大德丸が成規の白灯を掲げておつても、本件衝突は発生したであろうこと、ひいて大德丸の無白灯が本件衝突と原因結果の関係がないことを積極面から明らかにしたい。

(イ) 照井は被告の審判廷で、開港港則施行第十条の適用があるのは衝突の虞ある場合で、港口で行合う場合であると述べ、又石狩丸から見て大德丸の方位はどんどん変つた、港外三、四百米の処で行合うと思つた。右舷対右舷で替ると思つた、とも述べている。(丙第十二号証)而してここにいう衝突の虞ある場合とは、他船の方位がたしかに変更しない場合である。従つて照井は前記のように大德丸の方位がどんどん変更するのを認めていたのであるから、同人の主観的判断においては、衝突の虞ある場合に該当せず、前記開港港則施行規則第十条の適用ある場合とは考えずに、運航したものといわねばならぬ。而してこのことは大德丸が白灯を掲げていてもいなくても、同樣に云い得ることは明らかであるから、大德丸の無白灯は石狩丸の運航に何等の影響を及ぼす筈なく、従つて本件衝突との間に因果関係がない。

(ロ) 靑函連絡船は一般小型船に対して一々避航しないことは、世間一般からそういわれている許りでなく(証人高木敏の証言)、被告も亦多年の慣行であることを承認しているようである。(甲第一号証)殊に、照井自身も地方海員審判所理事官に対し、「小サイ柔魚釣舟ノ如キモノハ替ハス余地ガ充分ニアルト思ツテ一々避航ハシテ居リマセン、」「連絡船ノ進駐軍緊急輸送ニ対シ漁船、雑種船ソノ他小型船ハ出來得ル限リ連絡船ノ航路ヲ避ケ」云々と述ている(丙第一号証)。これ等の表現は烏賊釣船に重点を置いたものでなく、比較的簡単に運航し得る小型船ということに重点を置いたもので、照井が一般に小型船に対して一々避航しないことを、最も端的に表明したものに外ならない。而して、大德丸がたとえ白灯を掲げたとしても、その白灯の位置は、両色灯の上方僅か三尺位のところである(丙第十二号証)から、三千余噸の大型船たる石狩丸の船橋に居つた照井がこれを見た場合、矢張り小型船と判断することは疑なく(証人高木敏の証言)、従つて同人が小型船と判断される大德丸の進路を避げなかつたであろうことは、極めて合理的に推論し得るところである。殊に当時石狩丸は進駐軍緊急輸送という特殊任務をもつており(甲第一号証)、この種輸送船は定期の着時刻に遅れると追放される場合さえある(丙第十二号証)ので、照井も航海の遅延を恐れることが極度であつたことは、被告も認めるところである(甲第一号証)から、このことをも考慮に入れれば、一層強い理由を以て前述の推論の正当であることを維持することができる。然らば大德丸の無白灯は石狩丸の運航に影響せず、ひいて本件衛突の原因を構成しないといわなければならない。

(三)  仮に原告石見に咎むべき微少の過失ありとしても、免状行使を一ヶ月停止するのは甚しく失当である。殊に相手船石狩丸船長照井の大なる過失に対してさえ一ヶ月の免状行使停止の処分であるのと対比すれば、その著しく過重であることが容易に首肯できることと思う。

叙上の理由によつて、被告の裁決は取消さるべきものである。

(丙)  被告代表者の答弁要旨。

第一、本件衝突の経過は、裁決書記載の通りである。即ち、

(一) 石狩丸側についていうと、

原告照井は甲種船長の海技免状を受有し、東京都に船籍港を定める運輸省所属双暗車(いずれも右旋である)汽船総噸数三千百四十六噸の石狩丸に船長として乗組執務中、同船は靑森、函館間の鉄道連絡船であるが占領軍将兵及び関係車輛若干を載せて船首四・三〇米船尾四・七〇米の吃水を以て、昭和二十一年十一月三日午後六時三十分靑森を発して函館に向け航行の途中、同十時十七分葛登支岬灯台を北七十七度西(本文中の方位は総て磁針方位である)二・四海里に並航して北三十度東に転針し、一時間十四海里半ばかりの全速力を以て進航した。同原告は同時三十分函館港防波堤灯台を北七十七度東〇・九海里ばかりに見る地点において、北七十一度東に転針すると同時に、右舷船首約二点距離一・二海里ばかり函館港第六号灯浮標寄りに、大德丸の紅灯だけを認め、その速力が早いので、発動機を以て進航して居ることは判明したが、函館港においては、成規の白灯を提げないで機走する小型船があつて、その多くは雑種船と看做される烏賊釣船であるところから、同船も又烏賊釣船であろうと思い、その後の方位の替り方によつて、両船はほぼ防波堤入口において出会することが判つたが、当時石狩丸は特殊任務を持つて居たため、極度に航海の遅延をおそれたのと、多年の慣行とによつて、機関用意さえ令せず、全速力のまま進航し、同時三十三分半頃に至り、右舷船首約一点同灯台から北二分の一東六十五米ばかりのところに大德丸の船影を認めたが、同船は依然紅灯のみを見せて急速に本船の船首方向に接近して來るので、同船はやがて左舷に替つて行くものと思い、入港針路につくためイージースターボートを令し、船首約八度右転した際、紅灯は正船首の方向においてその方位の変転が鈍くなつたので、同船が針路を変転しつつあるのに気付き、ヘルムミチツプを令して、汽笛一発を吹鳴したところ、同船の紅灯は左舷船首約二分の一点距離約七十米のところにおいて綠灯に変じ、本船の前を左舷から右舷へ橫切るような態勢となつたので、急いでハートポート、機関停止を令したが、その効を奏せず、同時三十四分同灯台から北六十度西百五十米ばかりの地点で、船首の右転が止まり、ほぼ北八十三度東に向いたとき、石狩丸の船首が、大德丸の右舷後部に、前方からほぼ四点の角度を以て衝突した。当時天候は晴天であつて、月齢九日の月明があり、潮候はほぼ高潮時であつた。

(二) 大德丸側についていうと、

原告石見は丙種航海士の海技免状を受有し、函館市に船籍港を定める日魯漁業株式会社所有発動機附帆船総噸数二十四噸の大德丸に船長として乗組執務中、同船は船首〇・六〇米船尾二・三〇米ばかりの吃水を以て、機船底曳網漁業の目的で、同日午後十時十八分頃(以下石狩丸の時刻に換算する)函館港海岸町船入澗を出帆して、惠山沖漁場に向け航行の途中、同原告はその頃連絡船の入港することを予期しながら、水路の経験を積むため、特に弁天崎の水路によらず、第一航路を選定し、操舵室後部に設置した木柱に両色灯を掲げたのみで、成規の船灯を掲げず、発航と同時に機関を一時間五海里ばかりの微速力にかけ、水深五・三米の水路を辿り、同水路を出てから、針路を北北西に転じ、同時二十八分頃函館港第六号灯浮標を右舷約二十米に通過すると同時に一時間八・二海里ばかりの全速力とし、函館港防波堤灯台を船首少しく左舷に見る北西二分の一西に転針すると、間もなく、左舷船首約四点一・七海里ばかりのところに、石狩丸の白、白、綠灯を認め、対手船は大型船であつて、ほぼ防波堤入口で出会するであろうと思つたが、依然同一針路、速力のまま続航し、同時三十三分半頃同灯台の北二分の一東六十五米ばかりの地点に逹したとき、同船の灯火は漸次左に替つたが、大型船の前路を橫切るのを不安に思い、同船と特に右舷を相対して航過する考えで西微北に転針し、石狩丸の白、白綠灯及び船影を左舷船首約二点半三百六十米ばかりの近距離に認め、徐々に左舵を取つたが、続いて同船の汽笛短声一発を聞き、同時に白、白、綠、紅灯を認めたので、取舵一杯としたが、両船愈々接近して、衝突の危險は免れぬものと判断し、せめて船体の損傷を少くしようと考え、面舵一杯を取つたが、その舵が効かぬうちほぼ船首が南西二分の一南に向いたとき、前記のように衝突した。その結果、石狩丸には損傷はなかつたが、大德丸は右舷船尾部を大破し、浸水甚しく、殆どその場に沈沒し、漁夫村畑松吉(二十七歳)は死亡し、船体はその後浮揚した。

第二、本件衝突の原因は裁決書記載の通り、

(一) 原告照井が大德丸の紅灯を認め、その速力によつて発動機船であることが判明しているにも拘らず、函館港においては、小型船で成規の白灯を掲げない悪習慣があつて、その多くは雑種船と看做される烏賊釣船であるところから、漫然同船も亦烏賊釣船であろうと思い誤り、やがてほぼ防波堤入口において出会することを知りながら、開港々則施行規則第十条の規定を遵守して、防波堤外において、その進路を避けなければならないのに、当時石狩丸は特殊任務を帶びて居たため、極度に航海の遅延をおそれ且つ多年の慣行により、衝突に関し百般の危険に注意することを怠り、機関用意さえこれを令せず、全速力のまま進航したこと、

(二) 原告石見が成規の白灯を掲げず、他船にその判断を誤らせ、且つ他船の方位が変転していたにも拘らず、その前面において濫りに転針したこと、にある。

第三、原告両名の主張に対する反駁。

(Ⅰ) 原告照井の主張に対して述べると、

(一) 同原告は石狩丸が葛登支岬灯台に並航した距離を約二・四五海里と主張しているが、同原告提出の海難衝突報告書並びに航海日誌写にはいずれも二・四海里と記入してある。

(二) 同原告は両船の方位の替り具合、距離等からして両船は防波堤入口で出会する虞はなく、防波堤の外大体二百米位のところで出会するであろうと推測したと主張しているが、両船の方位の替り具合ではなく、他船の方位の替り具合でなければならない、何となれば、石狩丸から見た大德丸の方位の替り具合であるからである。又同原告は、同人に対する地方海員審判所理事官の海難調書中「問、当日相手船ト丁度防波堤入口附近ニテ出会フ樣ニナルモノト思ハザリシヤ、答、港外二百米附近デ会フモノト想像シテ居リマシタ」の供述記載(丙第一号証)によつて、防波堤の外二百米位のところで出会するであろうと推測したとなしているらしいが、夜間の他船の動静やその距離の目測などは極めて不明瞭、不正確なものであつて、二百米位のところで出会するなどということは、一時間十四海里半の全速力で進航中の船では、ほんの想像にすぎないのであつて、信賴できない。被告は、同原告に対する地方海員審判所受命審判官の下調調書中「問、相手船ノ替り方カラ判断シテ港口附近デ出逢フモノト考エタルヤ、答、本船ガ防波堤ニ並航スル迄ニ相手船ハ港口ヲ通過スルモノト考ヘマシタ」の供述記載(丙第五号証)及び地方海員審判所の審判廷における石見の「問、何処デ行会フト思ツタカ答、港ノ入口附近デ出会フト思ヒマシタ、」の供述(丙第十一号証)から判断して、港口の一線の外附近で出会する、即ち石狩丸側からすれば両船はほぼ防波堤入口において出会することが判つたものと判定したのである。

(三) 大德丸の針路及び全速力にした場所、時刻については、被告は原告照井指摘の石見の供述(丙第十、第十二号証)並びに石見の被告の審判廷における「問、防波堤の南端(函館港の入口)とにらみ合せて何の位に替る考えか、防波堤灯台から、答、四、五十米位」の供述(丙第十二号証)により判定したが、該判定には原告照井主張のような違法はない。以下これを述べよう。

(イ) 大德丸の如き小型船は、昼夜を問わず、港内においては、羅針儀を見ずに、浮標とか灯台のような航路標識(特に夜間は灯標)を目標として走るのが、船舶運航の一般であつて、小型船においては、沿岸航行中も、羅針儀を見ずに航走するのが普通である。本件の場合は夜間であるから、大德丸船長石見が原告照井主張の如くB点とかC点とかを通つたと供述していることは、凡そ想像であつて、信賴するに足りず、第六号灯浮標や防波堤灯台を目標として走つたことが、実状に最も即したものである。

(ロ) 原告石見が右のB点からC点を通つたとすれば、海図上航泊禁止区域を通つたことになり、あり得ないことで、該区域をかわしてから第六号灯浮標に向ける方が実状に即している。しかも右C点から全速力にしたものとすれば、衝突地点迄の航走距離とその所要時間とにより大德丸の速力を計算すれば、時速十一海里強となり、実際に即しないこと甚しくなる。

(ハ) 大德丸の如き小型船の羅針儀たるや、自差はないといつても、殆ど例外なしに、半点や一点の自差のあるのが常識である。而して石見が被告の審判廷において供述するが如く第六号灯浮標を十八米位距て防波堤灯台を四、五十米位距てて進航したとすると、磁針方位で北西二分の一西となすことには何等誤りはない。

(ニ) 原告石見は、被告の審判廷において、

「問、出る時の速力は、答、微速力です、問、何海里位か、答、判りません、問、それでは沖を走るときの速力は、答、九節二位です、」と供述している(丙第十二号証)。大德丸の如き船舶の速力はこの程度が普通常識であつて、出港直後港内航行中である点にかんがみ、沖の速力よりはやや落ちているのが常識である。而して同船の時計が二分進んでいたことは、原告照井も認めているところであるから、前示石見の供述(丙第十号証)に徴し、大德丸が第六号灯浮標を通過した時を十時二十八分とすると、衝突時即ち十時三十四分迄六分間に海図によつて計つた航走距離〇・八二海里を航走したこととなるので、同船の一時間の全速力は八・二海里となり、右の常識に合致することになる。

(ホ) 大德丸の全速力九・二海里は八・二海里の誤記であつたことは既に昭和二十三年八月九日附書面を以て運輸省鉄道総局業務局長及び原告石見豊松に通知済みであつて、各原告は既に承知の筈である。從つて誤記訂正前の裁決書記載の同船の全速力を前提とする原告照井の主張は失当たるを免れない。

(ヘ) 原告照井の主張するように、両船の関係を正確且つ詳細に確定しないでは、衝突原因を正しく突き止め得ないかも知れない。然し厳密に云つて衝突の事実以外は、大方衝突両当事者の供述によつて判断するのであつて、余り微に入り細をうがつと机上衝突論に陷り、実際とは凡そ縁遠いものもでき得るもので、軌道や道路を走るものでない、海上の衝突事件に関する限り、時刻とか角度、距離などは頃とか約ばかりなどの語を用い、それにある幅をもたしてあるので、これがため衝突原因を正しく突き止め得ないなどということはあり得ない。

(四) 防波堤入口の一線を通過するときの大德丸の船首方向について、原告照井は西微北であると主張し、被告が西微北ではなく原針路のままであるとしたのを非難しているけれども、この点は結局同船が入口の一線を通るときの灯台からの距離が、被告の認定した六十五米が正当か、同原告の主張する百二十米が正当かに帰するものと解する。

(五) 衝突直前における両船の見合関係に関する被告の事実判定は実験法則に反するものではない。以下これを述べよう。

(イ) 大德丸の紅灯が正船首の方向においてという意味は石狩丸の幅十六米の平行線内といつた厳密な意味ではない。この十六米の幅の前方に大德丸の紅灯があるという意味である。海上の衝突事件においては、かかる微細なことを表現することは不可能近く、徒らに机上の衝突論に走らないことが肝要である。従つて石狩丸が船首約八度右転した際被告提出の運航模樣図のB点にあつた大德丸の紅灯は、石狩丸の正船首に当つていたのである。

(ロ) 被告が、大德丸からは石狩丸の汽笛短声一発を聞き同時に同船白、白、綠、紅灯を認めたと判定したことに対し、原告照井は、当時は大德丸からは石狩丸の綠灯は見えないと非難するけれども、石見の被告の審判廷における供述即ち「石狩丸の紅灯は短声一発と同時に見えました」「石狩丸の短声一発で靑から紅が見えたので危険と思い左転しました」(丙第十二号証)の通り、当時の両船の距離三百米近くにおいては舷灯はそれぞれ竜骨線上を橫切り反対側よりも見ゆるものであり、その度合は計算上は約一度三十五分とされ、両船の距離が近づくにつれ余光により漸次增大するものであつて、船幅に対する暗黑界は、実際問題として殆ど顧慮するを要しないから、この場合綠灯がかくれて紅灯になるものではなく、両船針路の交叉角度も小さいので、大德丸からは石狩丸の両舷灯を見る時間も割合に多く、被告の認定に何等の不都合もない。

(六)(イ) 開港々則施行規則第十条は入口の一線で出会する場合の規定ではない、入口の一線で出会することは何人も予測し得るものではない、特に夜間において然りである。かかる不可能な条件を航法に適用される筈はない。虞あるときの文句にはその幅のあることを意味するものと従来とも被告は解釈しているのである。昭和二十三年七月十五日法律第百七十四号をもつて制定された港則法第十五条において、「汽船が港の防波堤入口又は入口附近で他の汽船と出会う虞のあるときは、入航する、汽船は防波堤外で出航する汽船の進路を避けなければならない。」と規定されておるのは、法の精神において従來の開港々則施行規則第十条と何等異るところはないが、疑義を抱く向きがあるので、これを明確にしたまでである。斯樣に入港船は出港船に対してその進路を避くべく義務づけられている。而してその進路を避ける方法については言及していないが、海員の常識を以て判断すべきであり、投錨するなり、機関を停止するなり、その時の状況から判断して処置すべきである。

次に入口の一線からどの程度迄を幅というべきであるか、航路筋の状況、昼夜の別により多少の相違はあるが、出港が入口の一線を通過した後、どの方即に向けて進航するのか、その運航状況を見定める余裕のあることを要するもので、何米と具体的な表現は不可能である。即ち入口附近において出会の虞あるときは、出港船が入口の一線を通過後どの方向に向けて進むのか、良く見定めてから入港船は進入すべきであつて、それには相当の幅が要求されるのである。かかる航法の条文を設けたのも、出港船が入口を通過後どの針路を進むのかは船によつてまちまちであり、それを入港船側からは判断できないので、かかる場合、入港船が進入しては、出港船の思わぬ転舵により、衝突の危険を見る場合の多いことを予想して規定したものである。

(ロ)(1) 本件防波堤の入口の幅員は三百六十米あつて、事実上出入港船の同時通過に危険がないかも知れぬ。然し開港々則施行規則第十条は函館港を除外していない。

(2) 大德丸が総噸数二十四噸で長き十八米幅三米であり、入口の幅員が大德丸の幅の百二十倍であることは、同船が同条に所謂汽船であつて出港船たることを防げるものではない。

(3) 航路が防波堤入口の内外に防波堤とほぼ直角に近い角度で各五百米の延長を以て第一航路を形成していることは争わない。

(4) 原告照井は、入口附近においては、他に大德丸の運航の自由を妨げるような特殊事情は何もないと主張するけれども、石狩丸の運航があるから、同条を適用すべきである。

(ハ) 同原告は、両船が防波堤入口で出会する虞はなかつたと縷々主張しているけれども、該主張が失当なことは前示の(二)で述べた通りである。なおこれを詳述しよう。

同原告は、(1)同人に対する地方海員審判所理事官の海難調書によると、「問、当日相手船ト丁度防波堤入口附近ニテ出会フ樣ニナルト思ハサリシヤ、答、港外二百米附近デ会フモノト想像シテ居リマシタ、」と供述し、(丙第一号証)(2)同人に対する地方海員審判所受命審判官の下調々書によると、「問、相手船ノ替リ方カラ判断シテ港口附近デ出逢フモノト考エタルヤ、答、本船ガ防波堤ニ並航スル迄ニ相手船ハ港口ヲ通過スルモノト考ヘマシタ、」と供述し、(丙第五号証)(3)地方海員審判所の審判廷において、「問、相手船ハ如何ナル針路ヲトルト思ツタカ、答、先方ハ防波堤ヲ替ハルモノト推定シマシタ、」と供述し、(丙第十一号証)(4)被告の審判廷において、「問、本船は相手船を右舷船首一点半に見、それが段々変り、その船とは何処で行逢うとおもつたか、答、港外三、四百米位の処で行逢うとおもいました、」と供述し(丙第十二号証)各供述は区々であつて、第四回目には三、四百米と遠くして自己を有利にしようとする意図が窺われ、いずれも信じ切ることはできないが、ただ入口から幾分外方で出会うことだけは判つていたと認められる。

他方石見は、(1)地方海員審判所の審判廷において、「問、何処デ行会フト思ツタカ、答、港ノ入口附近デ出会フト思ヒマシタ、」と供述し(丙第十一号証)、(2)被告の審判廷において、「問、六番浮標で相手船の白、白、靑を見、入口で出会うとはおもわなかつたか、答、出会うとおもいました、」と供述し(丙第十二号証)共に同一意味のことを述べている。

そこで被告は彼此より判断して、石狩丸側においては、その後の方位の替り方によつて両船はほぼ防波堤入口において出会することが判つたと判定したのであつて、ほぼ防波堤入口なるほぼによつて幅を表したもので、衝突地点にかんがみ常識をもつてかく判定した次第で、更に実際とも反するものではない。

(ニ) 開港々則施行規則第十条の義務船、権利船の関係は、海上衝突予防法第二十一条の義務船、権利船の関係とは全然別個のものであつて、両者を混同してはならない。本件の場合、右第二十一条が適用されるものとずれば、右第十条は不用である。原告照井の主張は両法条を混同しての議論であつて、根本を誤つている。

(ホ)(1) 同原告は右第十条に所謂出会の虞を衝突の虞と解釈しているらしいが、出会は衝突ではない。

(2) 本件の場合入口の一線から百五十米は被告は入口附近と解する。

(3) 大德丸が石狩丸の前面で大角度の左転をしたことは海員の常務に反するから、被告もこれを責めている。他方石狩丸が場合の如何を問わず、本件の場所にあつて速力を減じないで一時間十四海里半の速力をもつて進航したことも、海員の常務に反し不法のものである。原告照井の主張は右大德丸の不法のみを責めて自らの不法を考慮しないものである。

(七) 開港々則施行規則第十四条の雑種船に避譲の義務を負わせたのは、大型船が小型船に比較して必ずしも操縱が困難であるからばかりではない。大型船、小型船の限界如何の問題もあるが、艀船、端舟等は、殆どが海技免状を受有しないものが操縱するので、一律に海上法規の何たるかを解しないものと認めて避譲の義務を負わせ、以て大型船と云わず雑種船以外の船舶に、運航の便宜を与え港内の安全を期したものである。

而して同規則第四十五条第二項において、「函館港ニ在リテハ烏賊釣漁業ニ使用スル船舶ハ之ヲ雑種船ト看做ス」と規定した趣旨は、一般に同港においては六月乃至十二月は烏賊釣漁業に従事する船舶多く、夕刻群をなして各船入澗を出港し、港内を橫切つて弁天埼に拔け、帰航時即ち翌早朝また同樣の状態で入港するので、一般通航船舶の妨害となるからであつて、かかる特殊な事情を考慮して、同港についてのみ規定されたのである。

尤も山口県令同県港湾取締規則では二百噸未満(総噸数と明示していない)の船舟を雑種船とし一般汽船の進路を避けるよう規定しているが、これは同県令に規定された特定港のみについての地方規則であつて、(これは昭和二十二年法律第七十二号を以て同年十二月末日の経過と共に効力を失つた)本件には何等の関係もない。

大德丸は、乙種船舶檢査証書謄本に示す如く、機船底曳網漁業に従事する機附帆船であつて、石見提出の海難届(甲第二号証)にも明記してある通り、惠山沖にて機船底曳網漁業に従事するため出港したものであつて烏賊釣りに出たのではない。

なお開港々則施行規則第四十五条に所謂汽艇とは主として港界内を運航する小型汽船を指称するが、大德丸が右の汽艇でないことも叙上に徴し自ら明らかである。

以上説明したところにより、大德丸が総噸数二十四噸であり、烏賊釣船に匹敵する小型漁船であるからとなして、同規則第十四条の適用について雑種船と解すべき理由とはならない。

既に然る以上、雑種船でない大德丸に対し雑種船としての行動を要求するのは無理である。

凡そ、函館港に出入する船舶運航者は、同港に関する開港々則の規定は了解しているものと解すべさであつて、汽船の進路を避けずに進航して来る船は、汽船からすれば、雑種船でないもの、即ち、同則施行規則第十四条の雑種船又は同規則第四十五条の烏賊釣船でないものと解釈するより外に判別の方法なく、特に夜間において然りである。従つて本件の場合石狩丸側においては当然大德丸も汽船と看做し運航すべきものである。

(八) 前述した通り雑種船であるか否かは、夜間の小型船において特にその船自身より外に判別は困難であるが、原告照井の如く常に函館港に出入港する船長は、同港における烏賊釣船の前示出入港時間及ぴその状況を知らぬ筈はなく、又正規の白灯を掲げない小型船のあることも承知しているものであるから、烏賊釣船の出港するような時刻でない夜間十時半頃、単独で出港して來た大德丸を烏賊釣船と決めて運航したことに、過失がないとは何人も云い得ないだろう。従つて被告は、大德丸が正規の白灯を掲げないで運航した、海上衝突予防法の船灯に関する規定の違反事実を責めると共に、烏賊釣船でないものを烏賊釣船と決め、大德丸は当然避航してくれるものと思つて、全速力のまま進航した石狩丸船長照井を責めているのであつて、裁決の理由に何等矛盾を生ずるものではない。

(九) 原告照井は、開港々則施行規則第十一条の規定によるべき場合及び衝突の虞ある場合以外は港内と雖も全速力で走つてもよろしいと解しているらしいが、全速力といつても一時間四海里の船もあり、十四海里半或はそれ以上の船も沢山あり、船舶に大小があり区々である。被告が、場合の如何を問わず本件の場所でと特に指摘したのは、防波堤入口に近く石狩丸のような三千噸以上の船であつて後進力の弱いタービン機関を有し、ストンピング、デイスタンスは六百七十五米で、船の停止までの所要時間は三分六秒である(丙第十二号証)ものが、万一舵に故障を生じた場合、一時間十四海里半の全速力では防波堤に突き当てないとは保証し得ない、又速力を減じたことによつて、万一起り得る危険に対しても、より小さな損害に止め得るからであるのみならず、操船も、より容易であるからである。

入港近くになれば機関部においては種々の蒸気弁を開閉するため、稀にこれを間違い舵機に故障を起した例もあることは同原告も承知のことと思う。

(Ⅱ) 原告石見の主張に対して述べると、

(一)(イ) 石狩丸は北七十一度東の針路で進航中、大德丸が紅灯のみを示して本船の船首方向に接近しで来るので、同船は左舷の方に替ると認め、普通入港針路につくためにイージースターボートを令したもので、原告石見の主張するように原針路のままで進んだのではない。而して、石見は相手船が大型の連絡船であることを承知しているので、その動静には十分注意していたわけであるから、イージースターボートとはいえ石狩丸は右転しており、同船には增掲灯も表示してあるので、大德丸から見ても、その方位の替ること及ぴ他船の針路は十分に認められる筈である。

なお、被告提出の運航模樣図によれば、十時三十三分半石狩丸が北七十四度東のままで進み、大德丸が西微北の針路でそのまま進めば両船は四十米ばかり隔てて航過するものである。

(ロ) 原告石見が成規の白灯を掲げていなかつたため、石狩丸船長をして判断を誤らせ開港々則施行規則第十条違反をなさしめたのであつて、自ら違法をしていて、石狩丸にのみ右第十条所定の航法を守れと主張することはできない。本件の場合大德丸が濫りに左転しなかつたら、本件衝突は起つていなかつたので、これを不問に付することはできない。その他の右第十条に関する同原告の解釈については、被告は同原告と意見を同じうするものである。

(二)(イ) 被告は函館港においては成規の白灯を掲げないで機走する小型船もあると説明し、これを悪習慣と指摘したまでであつて、慣習の存在を立証しているのではない。

原告石見の援用する証人村岡正、同高木敏の各供述によつても、小型船の一部に白灯を掲げないものがあることを首肯できる。これを悪習慣として指摘するのに何の不都合があろうか。

被告は、被告の審判廷における照井の供述、即ち

「問、それで如何なる種類の船とおもつたか、答、烏賊釣船とおもいました、中略、問、その中に白灯を掲げたものはなかつたか、答、中にはありましたが、自分は烏賊釣船ではないかと想像したものです、烏賊釣は舷灯はつけても檣灯はつけて居らぬものがよくあります、対手船も正規の灯火を掲げておらぬので左樣に判断しました」、函館港の事情に精通する照井船長の右供述があつたのでこれによつたのである。

原告石見は本件夜の十時半頃には出港する烏賊釣船は存在しないと主張しているが、これは一般にであつて、絶対的のものではないことは、前示証人山田俊男の供述(丙第十一号証)に徴しても明瞭である。

(ロ) 夜間の目測は極めて困難且つ不正確なものであつて、港外三、四百米の処で行逢うと思つたとの照井の供述はこれを鵜呑にはできない。現に港口から百四十米ばこりのところで本件の衝突は起きている。前にも説明した通り、大德丸が成規の白灯を掲げていなかつたから、照井は烏賊釣船と思つたのであつて、成規の白灯を掲げてさえいれば同船を烏賊釣船と思う筈がなく、従つて烏賊釣船以外の一船船と判断して処置され、かかる想定においては、衝突が起つたと推定される理由はないから、大德丸が白灯を掲げていなかつたことと本件衝突と因果関係なしとする、原告石見の主張は当を得ていない。なお、同原告が援用した丙第一号証中の「連絡船ノ進駐軍緊急輸送ニ対シ漁船、雑種船ソノ他小型船ハ出来得ル限リ連絡船ノ航路ヲ避ケ」云々の照井の供述は、関係者一同に了解して貰うために懇談会でも開催したらどうかと思うとの希望である。

(三) 原告石見に対する被告の懲戒処分は重きに過ぎるとは考えられないから、同原告の主張とは結局意見の相違に帰着する。

(当事者双方の立証)

(一)  原告照井訴訟代理人は甲第一乃至第三号証を提出し、検証の結果を援用し、丙各号証の成立を認め、これを全部利益に援用した。

(二)  原告石見訴訟代理人は乙第一乃至第三号証を提出し、証人村岡正、同能口栄作、同高木敏の各証言並ぴに検証の結果を援用し、丙各号証の成立を認め、これを全部と甲第一号証とを利益に援用した。

(三)  被告代表者は丙第一乃至第八号証、同第九号証の一乃至八、同第十、十一号証、同第十二号証の一、二を提出し、検証の結果を援用し、甲、乙各号証の成立を認めた。

(備考―なお以上の各当事者の事実上の陳述及び後記当裁判所の判断の理由等を明確ならしむるため、便宜本判決の別紙として、(一)本判決中に用いた術語の説明(二)各当事者提出の書証の標目及び(三)被告提出にかかる函館港入口附近における本件両船の運航模樣図の写を添附する。)

理由

第一、本件衝突に至るまでの経過について、

(一)  相手船を認める迄の両船の航海経過。

(イ)(1)  原告照井が甲種船長の海技免状を受有し、東京都に船籍港を定める運輸省所属双暗車(いづれも右旋である)汽船総噸数三千百四十六噸船の長さ百十三米幅十六米の石狩丸に、又原告石見が丙種航海士の海技免状を受有し、函館市に船籍港を定める日魯漁業株式会社所有の発動機附帆船総噸数二十四噸船の長さ十八米幅三米の大德丸に、いずれも船長として乗組執務していたこと、

(2)  石狩丸が靑森函館間の鉄道連絡船であつて、占領軍将兵及び関係車輛を搭載し、船首四・三〇米船尾四・七〇米の吃水を以て、昭和二十一年十一月三日午後六時三十分函館に向け靑森を出帆して又大德丸が惠山岬漁場において機船底曳網漁業に従事するため、船首〇・六〇米船尾二・三〇米ばかりの吃水を以て、同日午後十時十八分頃(以下石狩丸の時刻に換算する、けだし同船の時計は石狩丸の時計より二分進んでいたことは当事者間に争なきところである。)函館港海岸町船入澗を出帆し、その頃連絡船の入港することを予期しながら、水路の経験を積むため、特に弁天崎の水路によらず、同港第一航路を選定し、操舵室後部に設置した木柱に両色灯を掲げたのみで成規の檣灯(白灯)を掲げず、発航と同時に機関を一時間五海里ばかりの微速力にかけ、海図上(水路部発行第六号函館港附近、以下同じ)水深五・三米の水路を辿り、同水路を出たことは、いずれも両原告と被告間に争がない。

(ロ)  被告は石狩丸は同十時十七分葛登支岬灯台を北七十七度西(方位の表示は総べて磁針方位である)二・四海里に並航して北三十度転針し、一時間十四海里半ばかりの全速力を以て進航し、同時三十分函館港防波堤灯台を北七十七度東〇・九海里ばかりに見る地点において北七十一度東に転針したと判定したのに対し、原告石見はこれを争わないが、原告照井は右の並航距離は石狩丸の同十時三十分の位置から針路により逆算し理論上二・四五海里である、又石狩丸は同十時三十分北七十二度東に転針したものであると主張するけれども、葛登支岬灯台との並航距離が被告判定の如く二・四海里なりやはた又原告照井主張の如く二・四五海里なりやは、石狩丸の同十時三十分の位置並びに同時刻迄の針路及び速力につき両者間に争なきことに徴し、本件衝突にさしたる影響を及ぼすものではなく、又石狩丸か同原告主張の如く北七十二度東に転針したかどうかについては、成立に争なき丙第七号証中高山茂の供述記載は同原告の主張に吻合するけれども、成立に争なき丙第一号証同第十二号証の一にはいずれも被告の前記判定に符合する原告照井本人の供述が記載せられてあるので、彼此対比して考察すると右高山茂の供述は輙く採つて以て同原告の右主張を認定して被告の前記判定を覆すの資料となし難く、その他に同原告の右主張を肯認するに足る証拠はない。

(ハ)  被告は、大德丸は前記水路を出てから針路を北北西に転じ、同十時二十八分頃函館港第六号灯浮標を右舷約二十米に通過すると同時に一時間八・二海里ばかりの全速力とし、函館港防波堤灯台を船首少しく左舷に見る北西二分の一西に転針したと判定したのに対し、原告石見はこれを争わないが、原告照井は、大德丸は右水路を出てから針路を北北西に転じ同時二十六分半頃同港第六号灯浮標の南三十三度東五百七十米ばかりの地点で北西(詳しくは北四十四度西)に転針すると同時に機関を全速力にかけ一時間九、二海里ばかりの速力で進航したと主張するので案ずるに、成立に争なき丙第二、第十一号証の各記載に徴すれば、大德丸船長石見は北北西の針路で第六号灯浮標の南三十三度東五百七十米ばかりの地点まで来てそこで北西に転針すると同時に全速力としたようである。然しながら、

(1) 大德丸の如き小型船は港内においては霧や靄等のため目標の見えない場合は格別普通は羅針儀を見ずに浮標とか灯台等の如き前途の地物を目標として航走するのが実情であることは、検証の結果に徴してもこれを窺うことができないでもない。殊に本件の場合は夜間であるから、彼此対比して考察すると、右の丙第二、第十一号証のこの点に関する各記載は、輙く採つて以て原告照井の前記主張を認めて被告の前記判定を覆すの資料となし難く、むしろ却て丙第十二号証の一中、石見の第六号灯浮標に向つて進みこれを船丈位隔てて右舷側に通過し同時に全速力とし防波堤灯台の北四、五十米に向けたとの供述が、実情に即したものと認めざるを得ない。(なお後記(3)参照)

原告照井は、右石見の供述は、積極的に誘導質問し若しくは予定概念の下に発問し、よつて得られた供述であるから、証拠に供することができない旨主張するけれども、同号証の石見の供述記載内容を仔細に検討すれば、同原告の右主張事実をそのまま肯認することを得ず、その他に該事実を認むるに足る証拠はない。

(2) 石見が北北西の針路で第六号灯浮標の南三十三度東五百七十米ばかりの地点まで来たとすれば同人は海図上航泊禁止区域を通つたことになる。然るに丙第十二号証の一の記載によれば、石見は終戰以来大德丸船長として惠山沖漁場において漁撈に従事していたことを認め得るから、右区域は熟知していたものと推認し得べく、右と前記の丙第二、第十一号証の各記載と対比して考察すると、同各号証の記載は輙く採つて以て原告照井の前記主張を認定して被告の前記判定を覆すの資料となすを得ず、寧ろ却て丙第十二号証の一中石見の右航泊禁止区域をかわして第六号灯浮標に向けた旨の供述が、実状に即したものと認めざるを得ない。

原告照井は、右区域は海図上点線を以て囲み航泊禁止と書かれているだけで、海面にはこれを明示する何等の目印もない、殊に北北西の針路で第六号灯浮標の南三十三度東五百七十米ばかりの地点まで来ることは、該区域の南西隅の一部を僅かに橫切るに過ぎないから、決してあり得ないことではなく、現に石見自身が同所を通つたと言明しているから、前記丙第二、第十一号証の各記載を証拠価値なしとして排斥することは失当である旨主張するを以て案ずるに、北北西の針路で第六号灯浮標の南三十三度東五百七十米ばかりの地点まで航走する跡を海図に按ずるに、該区域の南西隅の一部を僅かに橫切ることは明らかであるが、前記石見の経歴並びに丙第十二号証の一中の同人の供述記載と比照して考察するときは、右の事実よりしてこの点に関する前記丙第二、第十一号証の各記載はこれを採用し難く、その他にこれを覆すに足る証拠はない。

(3) 被告は大德丸が全速力にした時刻を十時二十八分と判定したのに対し、原告照井は同時二十六分半頃と主張することは前記の通りである。そこで仮に同原告の主張するが如く、大德丸が第六号灯浮標の南三十三度東五百七十米ばかりの地点から全速力にしたとすれば、本件衝突地点が函館港防波堤灯台から北六十度西百五十米ばかりの地点であることは後記(第一の(三)の(ハ)参照)の如く両者間に争がないから、両地点間の航程を海図により算出すれば、該航程は約二千八十米となり、仮に大德丸の全速力を原告照井が主張するが如く一時間九・二海里ばかりとすれば、同船は右航程を七・三分ばかりに航走したこととなる。而して衝突時刻が十時三十四分であることは、後記第(一の(三)の(ハ)参照)の如く当事者間に争がないから、大德丸が全速力にした時刻は大体十時二十六分半頃となし得るようである。然るにこれに吻合する石見の供述は存在せず、却て成立に争なき丙第十号証には全速力にしたとき時計を見たら丁度十時三十分であつた旨の石見の供述が記載されており、又丙第十一号証には全速力にした時刻は十時三十分頃と思う旨の同人の供述が記載されてあつて、大德丸の時計が二分進んでいたことは前記の通りであるから、右丙第十、第十一号証の各記載によれば、大德丸が全速力にした時刻は石見の供述によるも十時二十八分頃とならざるを得ない。然るに十時二十八分頃大德丸が第六号灯浮標の南三十三度東五百七十米ばかりの地点から全速力にしたとすれば、該地点から本件衝突地点までの航程が約二千八十米あることは前記の通りであるから、前記衝突時刻たる同時三十四分までの六分間に大德丸は右航程を航走したこととなるべく、しかるときは同船の全速力は一時間約十一海里二となり、丙第二号証の記載により認めらるる同船の全速力九・二海里と余りにも合致しない。そこで仮に被告が判定した如く、十時二十八分頃大德丸が第六号灯浮標を通過した時から全速力にしたとすれば、同船は前記衝突時刻たる同時三十四分までの六分間に、海図上明らかなる右浮標から前記衝突地点までの距離約千五百米を航走したこととなるから、同船の全速力は一時間八・二海里ばかりとなる。而して沖を走るときの同船の速力が九・二海里ばかりなることは丙第十二号証の一中石見の同旨の供述記載によりこれを認め得るから、同船が港内航行中である点にかんがみ、右の一時間八・二海里の速力は実状に即したものと認定せざるを得ない。原告照井は大德丸が第六号灯浮標を十時二十八分に通過し防波堤入口の一線を同時三十三分に通過したとすれば、この間五分間に〇・七三五海里を航走したものであるから、同船の全速力は一時間八・八二海里となる旨主張するけれども、右の防波堤入口の一線とは防波堤灯台から北二分の一東に引いた線であつて、大德丸がこの一線に逹した時刻が十時三十三分半頃なることは各当事者間に争がないから、同船は五分半で右の〇・七三五海里を航走したこととなるべく、しかるときは同船の速力は一時間八・一海里ばかりとなるから、右主張は理由がない。然らば、大德丸が全速力にした時刻について、被告が丙第十号証中の前記の石見の供述記載を採用し、大德丸の時計が二分進んでいたことにかんがみ、十時二十八分頃と判定したのは正当であつて、採証上何等の違法はないものといわなければならない。(原告等に送附された甲第一号証の裁決書に大德丸の全速力を一時間九・二海里ばかりと記載せられありたるは後に被告が訂正したように誤記であつたと認める)

以上説明したところに徴し、被告が大德丸は前記水路を出てから針路を北北西に転じ、午後十時二十八分頃函館港第六号灯浮標を右舷約二十米に通過すると同時に、一時間八・二海里ばかりの全速力とし函館港防波堤灯台を船首少しく左舷に見る北西二分の一西に転針したと判定したのは正鵠を得たものといわねばならぬ。

(二)  相手船を認めたときの両船の関係。

被告は、石狩丸は北七十一度東に転針すると同時に右舷船首約二点距離一、二海里ばかり函館港第六号浮標寄りに大德丸の紅灯を、又大德丸は、北西二分の一西に転針すると間もなく左舷船首約四点一・七海里ばかりのところに石狩丸の白、白、綠灯をそれぞれ認めたと判定したのに対し、原告石見はこれを争わないが、原告照井は、石狩丸は北七十二度東に向けた時、右舷船首約二点距離約一・二六海里の地点に大德丸の紅灯を、又大德丸は同時三十分頃左舷船首三点四分の三距離約一、三六海里に石狩丸の白、白、綠灯をそれぞれ認めたと主張するをもつて案ずるに、両船の針路及び速力につき前記第一の(一)の(ロ)(ハ)の項で説明した如く認定する以上、両船の右速力及び針路に基いて午後十時二十八分以後における一分毎の両船の位置を海図上に記入して考察してみると、同時三十分半頃においては、石狩丸は右舷船首約二点距離一・二海里ばかりのところに大德丸を、又大德丸は同時二十八分過頃には、左舷船首約四点距離約一・七海里のところに石狩丸をそれぞれ認むる関係となるから、被告の右判定は合理的であつて、原告照井の右主張は採用するに由ない。

(三)  相手船を認めた後の両船の行動。

(イ)  被告は、(1)石狩丸側について、大德丸の速力が早いので、発動機を以て進航して居ることは判明したが、函館港においては、成規の白灯を掲げないで機走する小型船があつて、その多くは雑種船と看做される烏賊釣船であるところから、同船も又烏賊釣船であろうと思い、その後の方位の替り方によつて、両船はほぼ防波堤入口において出会することが判つたが、機関用意さえ令せず、全速力のまま進行し、午後十時三十三分半頃に至り、右舷船首約一点函館港防波堤灯台から北二分の一東六十五米ばかりのところに、大德丸の船影を認めたが、同船は依然紅灯のみを見せて急速に本船の船首方向に接近して来るので、同船はやがて左舷に替つて行くものと思い、入港針路につくためイージースターボートを令し、船首約八度右転した際紅灯は正船首の方向においてその方位の変転が鈍くなつたので、同船が進路を変転しつつあるのに気付き、ヘルムミチツプを令して汽笛短声一発を吹鳴したところ、同船の紅灯は左舷船首約二分の一点距離約七十米のところにおいて綠灯に変じ、本船の前面を左舷から右舷へ橫切るような態勢となつたので、急いでハートボート、機関停止を令したが、その効を奏せず、同時三十四分同灯台から北六十度西百五十米ばかりの地点で、船首の右転が止まり、ほぼ北八十三度東に向いたとき、石狩丸の船首が、大德丸の右舷後部に、前方からほぼ四点の角度を以て衝突したと判定し、(2)大德丸側について、相手船は大型船であつて、ほぼ防波堤入口で出会するであろうと思つたが、依然同一針路のまま続航し、同時三十三分半頃函館港防波堤灯台の北二分の一東六十五米ばかりの地点に逹したとき、同船の灯火は漸次左に替つたが、大型船の前路を橫切るのを不安に思い、同船と特に右舷を相対して航過する考えで西微北に転針し、石狩丸の白、白、綠灯及び船影を左舷船首約二点半三百六十米ばかりの近距離に認め、徐々に左舵をとつたが、続いて同船の汽笛短声一発を聞き同時に、白、白、綠、紅灯を認めたので、取舵一杯としたが、両船愈々接近して衝突の危険は免れぬものと判断し、せめて船体の損傷を少くしようと考え、面舵一杯をとつたが、その舵の効かぬうち、ほぼ船首が南西二分の一南に向いたとき前記のように衝突したと判定し、原告石見は、被告の右判定を争わないが、

(ロ)  原告照井は、(1)石狩丸側について、大德丸が小型の発動機船で、出港して来るものであることは判つたが、函館港では成規の白灯を掲げないで機走する小型船があつて、その多くは烏賊釣船であるところから、これを烏賊釣船であると思つたが、両船の方位の替り具合、距離等からして、両船は防波堤入口で出会する虞はなく、防波堤の外大体二百米位のところで出会するであろうと推測した、果せるかな、午後十時三十三分半頃には函館港防波堤灯台の北方距離約百二十米のところで、船首を西微北位に向け防波堤入口の一線を航過しつつある大德丸の紅灯及び船影を、自船のほぼ船首距離約四百米の前方に認める関係になつた。従つてこのままの関係で暫らく推移すれば、やがて両船は防波堤入口の外百五十米ばかりのところで、左舷対左舷を以て無事に替り合つて行く情勢であつたから、普通入港針路の灯台寄りに向うため、イージースターボートを令したところ、八度ばかり囘頭した時、大德丸の速度が急に落ちたように思われたので、ヘルムチツプを令した、すると、ついで大德丸は急に綠灯を見せ、本船の針路を左舷から右舷へ橫切るように進航して来るので、驚いて機関停止、ハードボートを令したが、遂に同時三十四分防波堤灯台から北六十度西距離百五十米ばかりの地点で、船首の右転が止まり、ほぼ北八十三度東に向いた時、石狩丸の船首が大德丸の右舷後部に、前方からほぼ四点の角度で衝突したと主張し、(2)大德丸側について、その後石狩丸の方位はだんだん後方に替つて行つたが、防波堤入口に近ずいて徐々に左転し、午後十時三十三分半防波堤灯台から北二分の一東距離約百二十米の地点で防波堤入口の一線を航過するときの船首は西微北を向いており、この時左舷船首約二点半(二十七度)距離約四百米(この距離は大德丸の操舵室から石狩丸の船首部まで)に石狩丸の白、白、紅、綠灯及び船影を認めた。この関係では、そのまま暫らく進航すれば、防波堤入口を通過して百五十米も進出したところで、石狩丸と左舷対左舷を以て無事に替つて行く情勢であつたが、石見は他船との関係に深く注意を払わず、ただ自船の便宜だけを考え、近廻りをしようとして左転したので、石狩丸の前面を橫切るような態勢となり、約五点半(六十二度)左に囘頭し、船首が南西二分の一南(南三十九度)に向いたとき前記のように衝突したと主張するをもつて案ずるに、

(ハ)  原告照井と被告との争点は、(1)石狩丸側からして防波堤入口において大德丸と出会する虞があつたかどうか、(2)防波堤入口の一線を通過するとき(この時刻が午後十時三十三分半頃なることは前示の如く右両者間に争がない。)大德丸は西微北に向つていたかどうか、(3)衝突直前の両船の見合関係の三点に帰し、両船が十時三十四分防波堤灯台から北六十度西百五十米ばかりの地点で衝突したことは右両者間に争がないので、左に順を追うて右争点を審究する。

(1) 丙第一号証には港外二百米附近で会うものと想像していた旨石狩丸船長照井の供述が記載せられてあり、同第五号証には大德丸の紅灯はどんどん左の方に替つて行つた、本船が防波堤に並航する迄に相手船は港口を通過するものと考えた旨照井の供述が記載せられてあり、又同第十二号証の一には相手船の方位はどんどん変つた、港外三、四百米位の処で行逢うと思つた旨同人の供述が記載せられありて、これ等に徴すれば、両船は原告照井の主張するが如く、防波堤入口で出会する虞はなく、防波堤の外大体二百米位のところで出会するもののようであるが、前記第一の(一)の(ロ)(ハ)で説明し認定した両船の針路及び速力によりて石狩丸については十時三十分以後、大德丸については同時二十八分以後における各一分毎の両船の位置を海図上に記入して、石狩丸の位置から大德丸の方位の変化を調査すると、同船は十時三十分には南八十九度東、同時三十一分には東、同時三十二分には北八十八度二分の一東、同時三十三分には北八十六度東にあることとなり、その一分間の方位の変化は一度乃至二度半である、かかる方位の変化は石狩丸側においては精密に測定して初めて知り得べきところであつて、若し知り得るとすれば十時三十二分以後において初めてその変化に気付く位の筈である、然るときは右の丙第一第、五号証、同年十二号証の一に各記載せられてある照井の供述は、両船が接近しその方位の変化が著しくなつてからの観測であつて、十時三十二分以前にあつては、前記方位の変化模樣から見て、かかることは供述し得ないとみるべきである、況んや同人は大德丸を初めて認めたときの方位として、地方海員審判所理事官に対しては右舷一点半乃至二点二粁内外(丙第一号証)地方海員審判所の審判廷では右舷一点半位、距離は判然としない(丙第十一号証)、被告の審判廷では右舷一点半位(丙第十二号証の一)と各供述している、このようなおほまかな観測では両船の出会地点を明らかにすることはできる筈がない、若しそれ大德丸が防波堤灯台の北方に出て自船との距離約四百米となつた時初めて、防波堤入口において出会するや否やを判断すべきものとせんか、一時間十四海里半の全速力を以て進航する石狩丸は、約二百五十七米進めば一時間八・二海里の速力を以て航進する大德丸と出会することとなるべく、そうすると、丙第十二号証の一の照井の供述記載によれば、石狩丸のストツピング・デイスタシスは六百七十五米、停止までの所要時間は三分六秒であるから、この時全速力後退にかけても出会地点前に停止することができないし、又同号証の同人の供述記載によれば、石狩丸のアドバンスは船の長さの六倍であり、全速前進中ハードのとき最初の一点は二十五秒乃至三十秒かかるから、この時舵を一杯に取つたとしても、出会地点までの距離約二百五十七米では原針路上にある障害物を避けることは困難である筈である。しからば、石狩丸としてはこの時より以前たる十時三十一、二分頃には防波堤入口における出会の虞を感じて処置すべきである。これは、出会の虞が事前の状態であつて衝突地点によつて結果論的に考うべきでないことの当然の帰結である、そうである以上、当初に掲記した丙第一号証、同第十二号証の一の各港外で会うものと思つた旨の照井の供述記載は、採つて以て原告照井の前記主張を肯定して被告の前記判定を覆すの資料となし難く、寧ろ却て被告が丙第五号証中本船が防波堤灯台に並航する迄に相手船は港口を通過するものと考えた旨の照井の供述記載、並びに丙第十一号証中港の入口附近で出会うものと思つた旨の石見の供述記載よりして、石狩丸側からは、両船はほぼ防波堤入口において出会することが判つたと判定したことは相当と認むべく、他にこれを覆して原告照井の前記主張を肯認するに足る証拠はない。

(2) 被告は大德丸が防波堤入口の一線を通過するときの船首方向は、西微北でなく原針路のままであるとなしたのに対し、原告照井は西微北であると主張するけれども、この点に関する証拠として同原告が援用する丙第十二号証の一によつても、未だ該主張事実を明確に認むるに足らず、その他に同事実を肯認するに足る証拠はない、しかのみならず、同原告は大德丸の針路につき当初北西と主張し、後に至り北四十四度西と訂正主張するに至つたが、右訂正主張を認むるに足る何等の証拠もない、

以上説明したところにより、午後十時三十三分半における大德丸の位置、針路に関する原告照井の縷々の主張は到底採用し難い。

(3) 衝突直前の両船の見合関係についての被告の判定に対し、原告照井は、石狩丸が船首八度右転したときは、大德丸は、石狩丸の幅十六米の延長線上よりも、もつと左舷側に進出しているから、大德丸の紅灯を正船首に見る筈がない、又石狩丸が短声一発を吹鳴した頃は、船首が八度右転した直後であるから、大德丸に対しては最早縁灯を表示することはない、従つて被告の判定は実験法則に反すると主張するけれども、同原告の右主張事実を肯認するに足る証拠はない。

(四)  大德丸は雑種船であるか。

原告照井は、開港港則施行規則第十四条に「雑種船ハ汽船及帆船ノ進路ヲ避クヘシ」と規定された趣旨にかんがみるときは、同規則第四十五条第一項にいわゆる「汽艇」とは、結局機走する小型船と解するの外なく、その使用の目的、範囲等は汽艇なりや否やを決定する標準とはならない、又同条第二項の適用についても、烏賊釣漁業に使用するという使用目的が雑種船なりや否やを決定する要件ではなく、結局烏賊釣船乃至これに匹敵する小型漁船と解すべきである。そうだとすれば、大德丸は総噸数僅かに二十四噸、船の長さ十八米の小型機走船で汽艇の部類であり、又烏賊釣船に匹敵する小型漁船であるから、同規則第十四条の適用については、雑種船と解すべきであると主張するけれども、同条が雑種船に避譲の義務を負わせたのは、大型船が小型船に比較して必ずしも操縱が困難であるからばかりではない、港内を往復する小型の船舶に対して、港内の安全を期するため、避讓の義務を負わせ、それ以外の港内を出入する等の船舶に運航の便宜を与えたものである、従つて同規則第四十五条第一項にいわゆる汽艇とは主として港界内を運航する小型汽船と解すべく、同条第二項において「函館港ニ於テハ烏賊釣漁業ニ使用スル船舶ハ之ヲ雑種船ト看做ス」と規定した趣旨は、同港における烏賊釣漁業に従事する船舶の活動状況を考慮し、一般通航船舶の便宜を期するため特に規定されたものと解するを相当とする、そして大德丸が惠山沖漁場において機船底曳網漁業に従事する発動機附帆船なることは前であるから、同船が総噸数二十四噸船の長さ十八米であつて汽艇に匹敵する小型船であり、烏賊釣船に匹敵する小型漁船であるからといつて、開港々則施行規則第四十五条第一項にいわゆる汽艇に該当すと解すべき理由とはならぬし、又同条第二項にいわゆる雑種船と看做される烏賊釣船と解すべき理由ともならない。

(五)  衝突当時の天候並びに潮候。

当時天候は晴天であつて、月齢九日の月明であり、潮候はほぼ高潮時であつたことは、弁論の全趣旨に徴し当時者間に争がないところである。

(六)  衝突による損傷。

石狩丸には損傷はなかつたが、大德丸は、右舷船尾部を大破し、浸水甚しく、殆どその場に沈沒し、漁夫村畑吉松(二十七歳)は死亡し、船体はその後浮揚したことは、弁論の同趣旨に徴し、当事者間に争がないところである。

第二、本件衝突の原因について、

(一)  被告は本件衝突は、

(イ)  原告照井が大德丸の紅灯を認め、その速力によつて発動機船であることが判つたが、函館港においては小型船で成規の白灯を掲げない悪習慣があつて、その多くは雑種船と看做される烏賊釣船であるところから、漫然同船も又烏賊釣船であろうと思い誤り、やがてほぼ防波堤入口において出会することを知りながら、開港々則施行規則第十条の規定を遵守して、防波堤外において、大德丸の進路を避けなければならないのに、機関用意さえこれを令せず、全速力のまま進航したこと、

(ロ)  原告石見が成規の白灯を掲げず他船にその判断を誤らせ、且つ他船の方位が変転していたにも拘らず、その前面において濫りに転針したことに基因すると判定したのに対し、

(二)  原告照井は、本件衝突は、

(イ)  石見が成規の白灯を掲げず他船にその判断を誤らせたのを衝突の原因となしている以上、照井が大德丸を雑種船と看做される烏賊釣船と思つたのは誠に尤もな次第であつて、決して漫然と思い誤つたものではない。従つて同人の過失を認めたのは理由に矛盾があると非難するけれども、凡そ函館港に出入する船舶運航者は同港における開港々則の規定は了解しているものと推定すべきであつて、汽船の進路を避けずに進航して来る船は汽船側からすれば、開港々則施行規則第十四条の雑種船又は同規則第四十五条の雑種船と看做される烏賊釣船でないものと解釈して、衝突その他の危険に万般の注意を払うの外なく、特に夜間において然りである、しかのみならず丙第十一号証中の地方海員審判所の審判廷における証人山田俊男の供述記載並びに証人村岡正、同高木敏の各供述に徴すれば、函館港においては一般に烏賊釣船は夕方四時半頃に出港し、遅くも六時頃までには出払うものであつて、夜の十時半頃に出港する烏賊釣船は普通には存在しないことを窺い得べく、丙第十二号証の一の記載によれば、照井は靑函連絡船の船長として二十三年の経歴を有することを認め得るから、同人は右函館港における烏賊釣船の出港事情を承知しているものと推認するを相当とする、然らば同人において大德丸を雑種船と看做される烏賊釣船と決めて運航したことに過失がないとはいい得ないから、原告照井の右非難は当を得ない。

(ロ)  本件は開港々則施行規則第十条の適用ある場合でないと縷々主張するけれども、既に前記第一の(三)の(ハ)の(1)の項で認定した通り、石狩丸側からは、両船はほぼ防波堤入口において出会することが判つていたものである以上、同条の適用あること論を俟たないから、右主張は到底採用することができない。

(ハ)  出入港船が防波堤の入口で出会する虞のある場合でも、勝手な行動をとる出港船に対しては避譲の方法がない、海上衝突予防法第二十一条は「本法航方ニ依リ二船ノ内一船ヨリ他船ノ航路ヲ避クルトキハ他船ニ於テ其ノ針路及速力ヲ保ツヘシ」と規定し避譲される船の恣意な行動を禁じているが、同条遵守の必要であることは、両船が港外にある場合と港内にある場合とで異るものではない、而して開港々則施行規則第十六条は「本章ニ定ムルモノノ外船舶ノ航法ニ関シテハ海上衝突予防法ノ定ムル所ニ依ル」と規定しており、海上衝突予防法第二十一条が航法の規定であることは疑いないから、同条は同規則第十条の出港船にも適用あること勿論である、従つて本件の場合大德丸が航路筋に沿うよう少しく左転することは同条違反ではないが、濫りに針路を変転して五、六点もの大角度に左転して來たため衝突するに至つた事情の下においては、照井に対し右規則第十条に違反したものとして咎めるのは失当であると非難するけれども、出港船は港内の種々な方向から出港する場合があり、従つて港口附近において針路を転ずる必要も多いであろうから、出入港船が防波堤入口で出会する虞ある場合に海上衝突予防法第二十一条の規定が適用されるものとすれば、転針もできないこととなり、不都合であるから、かかる場合は同条を適用すべきではなく、かかる特殊の場合の衝突予防の方法として開港々則施行規則第十条が制定されたものと見るべきである。しかのみならず、本件は防波堤入口において出会の虞ある場合であることは前記認定の通りであつて、(前記第一の(三)の(ハ)の(1)参照)、照井は、入港針路につくため徐々に右舵したにすぎず、大德丸が避譲するものと決めて運航をした(前記第一の(三)の(ハ)の(1)参照)から、原告照井の右非難は採用するに由ない。

(ニ)  小型船で成規の白灯を掲げない悪習慣があり、その多くは雑種船と看做される烏賊釣船である、函館港において総噸数僅かに二十四噸の小型船である大德丸が、成規の白灯を掲げないで航行する以上、同船船長としては、同船が雑種船でないとしても、他船がこれを烏賊釣船と誤解するであろうことを当然予想し、雑種船として行動するのが至当である、従つて、本件の場合は、大德丸こそ石狩丸の進路を避くべきであるから、被告の判定は法令の適用を誤つていると主張するけれども、既に前記第一の(四)の項で認定した通り、大德丸は雑種船でないから、同船に対し、雑種船としての行動を要求するのは無理である、従つて、原告照井の右主張は、理由がない。

(ホ)  被告は、照井が本件の場所で一時間十四海里半の速力を以て進航したことは、海員の常務に反するものであるとしているが、これは失当である、船は港内の防波堤内側においてさえも、場合によつては、全速力で進航しても差支えない、況んや、本件の衝突地点及びその外方の地域を全速力で進航することは、特殊な場合以外に一向に差支えない、開港々則施行規則第十一条の規定は、内海水道航行規則第八条第一項第六号と全く同一の趣旨で、港界内及び港界附近には艀船等の居ることが多く、高速力で進航すると、それに因つて生ずる波浪のために、これ等の他船に危害を及ぼすことがあるので、そういう事故の起らないよう適当に減速することを命じた規定であつて、衝突事故を防止する趣旨の規定ではない、従つてこのような場合でないとき、港内で全速力をもつて進行することの許されているのは当然予想できることである、右とは別に、衝突の危険がある場合、その必要に応じて速力を減じなければならぬことは、当然に海員の常務と考えられる、然しながら、この常務は、港内であると外海であるとによつて区別あるものではない、ところが、本件では、大德丸が防波堤入口の一線を通過した後、そのままの針路で進航するか、仮令少しく左転しても航路筋に並行するよう進航すれば、両船は入口の外約百五十米のところで互に左舷対左舷で無事に替つて行く事情であり、その後大德丸が石狩丸の前面で大角度に左転するというのは、海員の常務に反する不当な運航方法であり、従つて照井が大德丸の左転に気付き得たのは衝突直前であつて、この時全速力後退を命じても、到底目的は逹し得られない実情であつたから、照井に対し、海員の常務に反したと非難することは、到底首肯し難いと主張するけれども、入港の際全速力のまま港内に進入せんか、その操縱には広い水域を要することとなり、附近に存在する碇泊船や通航船に対し有効適切な処置を執り難く、ために海難を生じ易く、海難より生ずる損傷も亦大となるべきことは勿論であるから船長は全速力を以て入港しなければ却て危険を生じ易い、特殊の場合を除き、全速力を以て港内に進入することなく、機関用意を命じ、以て狭い港内において予想される種々の障害に対する処置を有効適切に行い得る態勢を作るのを常務とする、丙第一号証の記載によれば、照井は、連絡船が函館港に入港する際は、防波堤灯台通過と同時に、スタンバイニンを命じ、それによつて機関部において入港速力(十五節のものならば十四節位にする)とし、港内第六号灯浮標を右舷船首四点位に見た時に半速とし、右浮標が並航となつた時に微速とする旨供述し、又同第十二号証の一の記載によれば、同人は、灯台を替るときに至つて始めて機関用意をすることは、連絡船の伝統である旨供述するけれども、函館港が靑凾連絡船の專用港でないことは明らかである、然らば、一時間十四海里半の全速力を以て同港に入港せんとした照井の運航は、連絡船の傳統的運航の故を以て、これを正当視し得べき理由はないから、原告照井の前記主張は到底採用することができない。

(三)  原告石見は、

(イ)  大德丸は石狩丸の前面において濫りに左転したものではない。

(1) 大德丸が針路を西微北に転針したときは、石狩丸の白、白、縁灯及ぴ船影を左舷船首約二点半三百六十米ばかりに認めたのであるから、このときの両船の配置にかんがみるときは、大德丸が左転せずに西微北の針路のままで進航したならば、両船は僅かに十四米ばかりを隔てて通過することになる、しかもこれは机上で作図した場合の話であつて、実際は両船とも広い海上にあり、且つ大德丸が西微北に転針した位置において徐々に左転を始めたときは、石狩丸は漸やく原針路から僅かに三度右転して北七十四度東になつたにすぎず、この程度の緩漫且つ微少の針路の変化は、当時の運航状況下の大德丸からは、これを認識することは、経験則上不可能である、僅か二十余噸の小型船に対し、暗夜十四海里半の高速力で来航する三千余噸の大型船の前面を極く間近で橫切れと要求することは無謀である、従つて、この場合、大德丸が徐々に左転したことは当然の処置であり、決して濫りに左転したものでないというべきである。

(2) その後石狩丸が徐々に右転して大德丸に対し白、白、縁灯の外紅灯を示すようになつたときは、大德丸は既に左転しつつあり、且つ両船の距離は更に接近していたので、かく切迫した事情の下において、大德丸が取舵一杯にしたのは洵に巳むを得ざるに出でたものであるとの趣旨の主張をなすけれども、石狩丸は北七十一度東の針路で進航中、大德丸が紅灯のみを示して本船の船首方向に接近して来るので、同船はやがて左舷の方に替ると認め、普通入港針路につくために、イージースターボートを令したものであつて、原針路のまま進んだものでない、(前記第一の(三)の(イ)の(1)参照)石見は相手船が大型の連絡船であることを承知しているので、(前記第一の(一)の(イ)の(2)参照)、その動静には十分注意していたものと認むべく、従つて同船の方位の替ること及ぴ針路は十分に認めた筈である、しかも丙第十二号証の一の記載によれば、石見は「問、六番浮標で相手船の白、白、靑を見、入口で出会うとは思わなかつたか、答、出会うと思いました、問、そのとき何れの船が避けるのか、答、港則では出船が権利船です、問、大型船の方で避けるものと思つていたものか、答、このままでは、橫切ることになりますので、悪いと思い、自分は左舵をとつて行く考えでありました、問、港則第十条に出港船の航路を避けるとあるので、本船ではそのまま行けばよいので、それを曲げたりなどしたことが、かえつて規則を破つたことになるのではないのか、当時は普通の感じから小船として灯台をせつてまわす考であつたのか、答、そうです、」と供述している、右供述によれば、大德丸船長石見は出港船として執るべき態度についての自覚なく、却て雑種船としての行動を執らんとし、他船の前面において左転避譲せんとしたものであることを窺うことができる、そうして同人の左転により本件衝突が起きたことは、既に、前記第一の(三)の(イ)の(2)で説明した通りであるから、大德丸が石狩丸の前面において濫りに左転したものでないとの原告石見の前記主張は到底採用することができない。

(ロ)  大德丸が成規の白灯を掲げていなかつたがために、照井がこれを烏賊釣船と判断したと認め得べき、合理的根拠がないのみならず、又その掲揚の有無が石狩丸の運航に影響を及ぼしたと認め得べき根拠もないから、大德丸の無白灯は本件衝突と因果関係がないとの趣旨の主張をなすけれども、前示山田俊男村岡正、高木敏の各供述に徴しても、夜の十時半頃出港する烏賊釣船が絶対に存在しないとは認め難く、又大德丸が成規の白灯を掲げていても、なお且つ照井がこれを烏賊釣船と判断したと認むべき資料もなく、更に丙第十二号証の一に記載せられてある照井の供述によれば、同人は初め、大德丸が防波堤入口を替らば左転して自船と右舷を以て航過すべしと予期していた、換言すれば、大德丸に烏賊釣船としての避譲を期待していたことを窺い得べく、しかも同人が大德丸を烏賊釣船以外の一般船と判断して運航してもなお、衝突が起つたと認むべき証拠もないから、原告石見の右主張は到底採用するに由ない。

(ハ)  開港々則施行規則第十条は、防波堤入口という狭い特殊の場所を二隻の汽船が同時に出入することを法律上特に危険と認め、かかる場所で出会の虞の生ずるのを防止することを目的とし、この目的逹成のために、入港船を防波堤外で待たせ、出港船に優先通航権を与えたものである、出港船が出港しつつある間は、入港船は入港して来てはならないという立法趣旨であるから、若し強いて入港して來て衝突を起した場合には、出港船の過失を云々すべきではない、大德丸が転針したのは、午後十時三十三分半頃函館港防波堤灯台の北二分の一東、距離六十五米ばかりの地点であつて、このとき同船は石狩丸の右舷船首約一点に方つていて、石狩丸の針路の延長線から七十米余も離れており、而もその転針は、南方漁場に行くための転針であるから、濫りに転針したものと断じた被告の判定は本条の解釈を誤つたものであるとの趣旨の非難をなすけれども、成規の白灯を掲げていなかつたがために、石狩丸側の運航に影響を与えたことは前記の通りであるから、石狩丸側にのみ、右第十条の遵守を要求することはできない、従つて、原告石見の右非難は当を得てない。

(ニ)  被告は、函館港においては烏賊釣船程度の船は成規の白灯を掲げない悪習慣があると判定しているが、かかる習慣を認め得べき何等の証拠もないので、右認定は違法であると非難するけれども、被告の裁決書(甲第一号証)の記載は、右習慣の存在を判定したのでなくて、照井が誤つた判断をなすに至つたことを判定するに当り附演的に説明したに過ぎない字句であるから原告石見の右非難は理由がない。

以上原告両名の主張に対し説明したところと、既に第一で説述した本件衝突に至るまでの経過とにかんがみるときは、本件衝突の原因に関する被告の前記判定は、当を得たるものといわざるを得ない。

第三、懲戒の裁量

被告は、原告両名の所為は、いづれも海員懲戒法第一条第二、第三号に該当する職務上の過失として、同法第二条第二号を適用し、各原告に対し、それぞれ一ケ月の免状行使停止の処分をなしたのに対し、

原告石見は、同人に対する被告の右処分は、照井に対する処分に比し、重きに過ぎると非難するけれども、他の被審人に対する量定を云為して自己に対する量定を非難するが如きは、何等理拠あるものでないから、理由がない。

然り而して、本件衝突が前記第二で説明した如き原告両名の所為に基因する以上、被告がこれを目して右原告両名の所為をいずれも海員懲戒法第一条第二、第三号に該当する職務上の過失と認めたのは正当である、而して被告が同法第二条第二号を適用して、原告両名に対し、それぞれ一ケ月の免状行使停止の処分をなしたことについても、これを不当と認むべき資料もない。

以上説述したところにより、原告等の請求はいずれも理由なきこと明白であるから、これを棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、第九十三条を適用し、主文の通り判決する。

(裁判長判事 斉藤直一 判事 大野璋五 判事 中村匡三)

(一) 判決文中に用いた術語の説明

(イ) 方位又は針路に関するもの

(1) 磁針方位。鉄気のない所にある磁石の針の指す方位。これは地球軸線と一致しない。地軸を基本とした方位を眞方位といい、これと磁針方位との差を偏差という。

(2) 自差。磁石羅針機を船内に据えれば、船体鉄気のために更に誤差を生ずる、これを自差という。

(3) 点。直角を八等分した角度単位で、従つて一点は十一度十五分に当る。

(4) 西微北、西より一点北寄りの意。

(5) 並航。進航中、地物を船の眞橫に見るに至ること。

(ロ) 船灯に関するもの

(1) 檣灯。汽船の掲げなければならぬ船灯の一で、白灯である。前方に射光する。

(2) 縁灯。右舷に掲げなければならぬ船灯で、右方に射光する。

(3) 紅灯。左舷に掲げなければならぬ船灯で、左方に射光する。

(4) 両色灯。小型船に用いる船灯で、一箇の灯の中央より右方に縁色、左方に紅色の硝子をはめたものである。

(5) 増掲灯。汽船が檣灯と同種の白灯を、その後方且つ上方に増掲するものを指す。

(ハ) 舵に関するもの

(1) ヘルム。舵柄。

(2) ボート。左舵、取り舵。

(3) スター・ボート。右舵、面(おも)舵。

(4) イージー。「少し」、「静かに」又は「ゆるめる」の意。

(5) ハード。「一杯」、「劇しく」の意。

(6) ヘルム・ミチツプ。「舵中央」の意。

(ニ) 航路信号

短声一発。「我船針路を右舷に取る」の意。

(ホ) 船の構造に関するもの

(1) 竜骨線。船首、船尾の結ぶ直線、「船首尾線」ともいう。

(2) 右旋暗車。前進運転のとき背より見て右まわりする暗車(推進器、プロペラー)。

(ヘ) 船の状態及び性能に関するもの

(1) 吃水。船が水上に浮ぶとき船底が水中に入つている深さ。

(2) ストツピング・デイスタンス。「停止距離」、即ち船が全速力前進中、機関の運転を全速力後退にかけた場合に、その点から船が停止する点までの距離。

(3) アドバンス。前進中舵を一杯に取つてから、船首方向が九十度旋回するまでの前進距離を、原針路の方向に直線的に測つたもの。

(ト) 機関部に対する号令に関するもの

スタン・バイ・エンジン。機関用意「機関部員総員配置につけ」の意。

(二) 書証の標目

(イ) 原告照井代理人提出

甲第一号証 高等海難審判所の裁決書謄本

甲第二号証 石見豊松の北海海運局函館支局宛衝突沈沒海難届

甲第三号証 米国造船造機学会編「基本造船学下卷」

(ロ) 原告石見代理人提出

乙第一号証 小樽地方海員審判所の裁決書謄本

乙第二号証 永野馬太郞著「改正国際海上衝突予防規則解説」

乙第三号証 東京天文台の昭和二十一年十一月三日凾館市における日沒時証明書

(ハ) 被告代表者提出(汽船石狩丸機附帆船大德丸衝突事件一件記録中より)

丙第一号証 地方海員審判所理事官松岡圭介の石狩丸海難調書

丙第二号証 同理事官の大德丸海難調書

丙第三号証 同理事官の大德丸臨検調書

丙第四号証 石狩丸一等航海士岡村辰〓に対する受命審判官中沢佐久三の下調調書

丙第五号証 照井勝利に対する同上

丙第六号証 汽船尾花丸船長筆村重吉に対する同上

丙第七号証 石狩丸操舵手高山茂に対する同上

丙第八号証 函館船舶管理部海務課救護係長長野義雄の大德丸沈沒位置報告書

丙第九号証の一乃至八 大德丸損傷写眞

丙第一〇号証 石見豊松に対する受命審判官中沢佐久三の下調調書

丙第一一号証 小樽地方海員審判所の裁決始末書

丙第一二号証の一 高等海難審判所の裁決始末書

丙第一二号証の二 同第二回始末書

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